【2018年反省会(19)】障害者は自らの「トリセツ」を訴求した方がよい

【2018年反省会(19)】障害者は自らの「トリセツ」を訴求した方がよい

トリセツ

(※)「トリセツメーカー―西野カナ『トリセツ』スペシャルサイト」より。

【2018年反省会】記事一覧(全26回)

普段、西野カナなんて聞かない上に、「トリセツ」という2015年にリリースされた若干古いシングルのタイトルを使ってみた(オジサン的語法)。

昨年、東京都港区南青山という、いちょう並木で有名な港区内の一等地に児童相談所(仮称)港区子ども家庭総合支援センター)が建設される予定であることをめぐって、松嶋尚子氏が「引っ越しする可能性あります」と発言したことが問題視された。私は、彼女の反応は極めて自然だと思う。というのも、児童相談所については一般に知られた情報があまりない。私も全くの勉強不足で申し訳ないのだが、児童相談所と聞くと、虐待を受けた子どもが預けられ、子どもを引き離された親が乗り込んでいくところという心象しかない。自分がよく解らないもの、つかみどころのない存在から「逃げる」というのは、人間の本能的な防衛反応である。

彼女は影響力のあるタレントだから、「児童相談所のことは私もよく把握していない部分があるので、まずは自分の住んでいる地域にある児童相談所のことを学習してみたい。その上で、一住民として児童相談所とどのように関係を結べばよいのか考えてみたい」などと気の利いた発言をするべきだった。しかし、コメンテーターとして即座に発言を求められた時に、そこまで頭が回らずにとっさに防衛本能が働いたのはやむを得ないとも言える。

私は精神障害者である。身体障害者であれば外見である程度障害の有無を判断できるし、知的障害者についても少しコミュニケーションを取ると障害を抱えているかもしれないと推量がつく(もちろん、全てのケースがそうだとは限らない)。一方で、精神障害者は外観ではほとんど区別がつかないし、話をしても障害があるとは気づかないこともある。私もしばしば、精神障害者だとは思えないと言われる。逆に私も、相手が精神障害と闘っていると聞いて、初めてその人が精神障害者だと知る場合がある。精神障害者というのは、世間にとっては解りにくい存在である。まして、閉鎖病棟である精神科に入院している精神障害者ともなれば、いよいよ解りにくくなる。だから、普通の人はそういう人から逃げようという防衛反応を示す。

私が入院していた病院の精神科病棟は7階にあった。私は1日に1回ぐらい、看護師に許可をもらって、1階にある売店に買い物に行っていた。病棟の外でエレベーターを待っていると、他の患者の家族でお見舞いに来ていた人と一緒になることがある。入院患者かどうかは、リストバンドをしているかどうかで判別がつく。私とともにエレベーターホールで待っていたのに、途中から階段で降り始める人が何人かいた。別の階の病棟にも家族が入院しており、そちらに見舞いに行こうとしたのかもしれない。だが、自分の家族の障害は理解している一方で、たまたま鉢合わせた私のことは一切解らないから、エレベーターという閉鎖空間に入ることを回避してでも、わざわざ7階から階段で下まで降りて行った可能性があるような気がする。

上の階から降りてきたエレベーターに私が乗ると、それまでワイワイと談笑していた人たちがピタッと静かになったことも幾度となく経験した。「不思議なことに」、私が売店で買い物をしている時には、「不思議なことは何も起きなかった」。他方、私が精神科の閉鎖病棟からエレベーターに乗るという事実によって、周囲の人は私のことが「よく解らない人であると解る」。だから、私も一瞬嫌な思いはしたものの、彼らの防衛反応が働いたのだと納得できる。

私も防衛本能が働くことがある。以前の記事「【2018年反省会(4)】閉鎖病棟とはどういうところか?」でも書いたように、閉鎖病棟には保護室という、一般の部屋とは異なる部屋がある。意識が昏迷している人、自殺の可能性が高い人、医師・看護師や他の患者に対して暴力を振るったり、病院内の器物を損壊したりする恐れがある人などが一時的に入るところである。私が3月に入院していた病院では、保護室の患者は基本的に自由に部屋の外に出ることができなかった。これに対して、今回入院した病院では、保護室の患者も普通に病棟内を歩き回っていた。他人に暴力を振るうかもしれないという理由で保護室に入っている患者とトイレで一緒になった時などには、さすがに私もここで何かあったら終わりだと怯えた。

本来であれば、松嶋尚子氏がすべきだった優等生的な発言のように、よく解らないものに対しては自分からアプローチしてその対象を理解しようと努める必要があるし、よく解らないものとされている側も、自分がいかなる存在であるのかを相手に説明しなければならない。こうして、一方の心の中に存在する正体不明の恐怖感を消していく。ただし、どんなに頑張って自分が何者かを解説したところで、相手の恐怖感を払拭できないものがいくつかある。基地はその1つだ。自衛隊があの手この手を使っても、基地が安全であるなどとは言えない。しかも、その場所に基地が必要である理由は、国防上の絶対機密ゆえに明かすことができない。

だから、仮に私が住んでいる地域の近くに基地ができるとなれば、それこそ松嶋尚子氏が発言したように引っ越すと思う。住民の反対運動には参加しないだろう。地元愛がどうのこうのという問題ではない。基地に利権が絡んでいるとしても、アメリカの勝手な思惑に振り回されているとしても、反対運動によって基地の建設が遅れている間に、本当に仮想敵国が攻撃してきたら、自分が住む地域どころか、日本という国家そのものが消える恐れがある。

沖縄県は、基地反対派が多くなると国からの交付金が増え、基地反対派が減ると国からの交付金も減るという歴史を繰り返してきた。例外的に、辺野古のある名護市長に保守派の渡具知武豊氏が当選した際には、政府は米軍再編交付金を交付した。渡具知氏がその交付金を、基地の危険が少ない西海岸の子育て支援などに使用したことが『世界』2018年9月号で批判されていた(前泊博盛『沖縄が問う民主主義』)。しかし、基地の危険が大きいエリアの開発に交付金を投入したら、名護市民を死へと招くようなものである。西海岸側の開発を進めて、市民をできるだけ基地から遠い地域へと誘導するのは、政策として何ら間違いではない。



基地の話はさておき、よく理解していない側とよく理解されていない側の間には、一般的に「差別」が生じる。そして、よく理解されていない側は「弱者」とされる。個人的には、弱者といういじけた響きを持つ言葉が非常に嫌いである。私は、現在教育現場で起きている深刻ないじめ問題に決して精通しているわけではない。とはいえ、「弱い者いじめ」は弱者=いじめられる側にも非があるという理屈は、完全に誤っているとまでは言い切れないと感じる。

私は中学2年生の頃に若干のいじめを経験した。今とは違いインターネットも未発達で、LINEなどは存在しなかったから、あそこまでの陰湿ないじめではない。単に、話しかけても無視されるとか、所属の卓球部で私がサーブを打っても相手が打ち返してくれないとか、その程度である。当時は担任の先生に相談したら比較的すんなり解決した。ところが、3年生になると、別の同級生から無茶苦茶ないじられ方をした。あまりに無茶苦茶だったので、私は思わず笑ってしまった。そこで、いっそ自分からいじられに行こうとマゾヒスティックになってみた。

フードコートで私が飲んでいたジュースに醤油や唐辛子を入れる、同級生の家で1人になった私を隠し撮りし、そのビデオを見て皆で爆笑する、冬には同級生の家の2階からタライに詰めた雪を私の頭に落とすなど、挙げればきりがない。傍から見ると、典型的ないじめだっただろう。実際、私が下校途中に同級生のカバンを5個ぐらい同時に持っているのを見た誰かの親がPTAに通報したという逸話(?)もある。しかし、私自身はいじめだとは思っていなかったし、そのおかげで彼らとは仲良くなることができた。むしろ、今でも交流が続いている中学時代の親友を挙げよと言われたら、彼らの名前の方が先に出るぐらいだ。

我々の間にはいじめという意識がなかったので、時には私が彼らと共謀して別の友人を陥れるという関係も成立した。ある時、夕方に友人宅で寝てしまった1人を部屋に置き去りにした上に、電気を消し部屋の時計を午後8時ぐらいに狂わせて、彼が起きた時には友人の母親から、「皆もう帰ったよ」と言ってもらうというドッキリを仕掛けたこともある。深刻ないじめに本当に悩んでいる子どもにとっては、私の事例などほとんど響かないかもしれない。ただ、いじめの構図を融解させる手段として、こういう例もあるということは紹介しておきたい。

差別されている側、弱者とされている側が、まずは「自分は差別されていない、弱くはない」と思うことが出発点となる。だが、それだけでは物事は解決しない。前述のように、双方から歩み寄って相互理解を深める必要がある。とはいえ、前述したような、差別している側や強者の側が相手にアプローチをかけることは、実はあまり期待できない。なぜなら、彼らは相手のことがよく解らない、したがって怖いと思っているがゆえに差別し、自分を強く見せているからである。よって、積極的に接近を試みなければならないのは、差別されている側、弱者の側の方である。差別されている側にとっては不合理かもしれないものの、それしか方法はない。

自分のことをよく解らないと思っている相手には、自分が何者であるかを丁寧に訴求することが重要である。言い換えれば、自らのトリセツを提示することである。ただし、自分が弱者だからと言って、自分にできないことばかりを主張しても、ほとんど誰も耳を傾けてくれない。まずは「自分にできること」を明らかにしなければならない。その上で、「支援・配慮があれば可能なこと」、「支援・配慮があってもほぼできないこと」、「自分がされると嫌なこと」と進んでいく。相手にとって好都合なこと、聞くだけの価値があることから順番に並べ立てる必要がある。



「障害者は自らの『トリセツ』を訴求しなければならない」というのは我ながらよいアイデアだと思っていたが、既に実践している方々がいらっしゃった。秋山剛『「はたらく」を支える!職場×双極性障害』では様々な患者の声が紹介されている。双極性障害を持っていることを職場でカミングアウトすることを躊躇する人が少なくない反面、「ノーチラスの会(※著者が主催する患者の会)の本の自分に当てはまる部分に付箋をし、表紙に「『○○(自分の名前)の取扱説明書』、よろしくお願いします」と書いた紙を貼って職場に置いてもらっています」という人がいたし、「職場に双極性障害であることを伝えておくのはマナー」と言い切る人もいた。

私の「トリセツ」は以下の通りである。

【①できること】
・書籍、雑誌、インターネット、ヒアリング情報などを幅広く収集して、整理された資料(特にパワーポイント)に落とし込むこと(私のパワーポイントの資料を中小企業診断士の仲間に見てもらうと結構驚かれる)。
・実例に基づいた研修用ケーススタディを開発すること(前職のベンチャー企業にいた頃に言われた)。
・読みやすい文章を書くこと(昔は全く国語力がなかったのに、最近は私のブログが面白いと評価してもらえることが増えた。また、官公庁向けの文書もかなり作成してきたが、無茶苦茶に赤を入れられたことがあまりない)。
・解りやすく説明すること(決して話し上手だとは思わないものの、研修やセミナーの話が解りやすいと言ってもらえる)。

【②支援・配慮があれば可能なこと】
・同じ仕事を1日中ずっと続けることが難しい。途中で休憩を挟むことができたり、仮に同じ仕事であっても、途中で外出の用事があるなど気持ちを切り替えられるタイミングがあったりするとありがたい。
・ワンフロアに大人数いる職場が苦手。こじんまりした職場の方が嬉しい。
・チーム内に役職や年齢が上の人がいると、顧客企業との議論でほとんど発言しなくなってしまうことがよくある。実は、私1人で臨んだ方が積極的に議論する傾向が強い(私が1人で顧客企業に出向くところは誰も観察できないので、こんなことを書いてもあまり説得力がないだろうが)。
・自分を安売りしないと言っている割に、安い案件をずっと続けて抜け出せなくなることがよくある。単に安いだけならまだしも、炎上案件なのに妙な責任感で仕事を続けてしまうこともある。よって、第三者の目で案件を評価し、案件との関わり方、私のビジネスにとっての価値をアドバイスしてくれる方がいると助かる。

【③支援・配慮があってもほぼできないこと】
・BtoCの仕事(症状の1つに易怒性があり、顧客から変なクレームが来ると、むきになって反論してしまう恐れがある)。
・徹夜での仕事(一般の人以上に翌日への悪影響が大きい。また、私自身は今まで経験したことがないが、生活リズムが狂うことで躁転するリスクがある)。
・海外での仕事(体調の関係で、外国に長期滞在できない)。
・料理(包丁を見ることができない)。

【④されると嫌なこと】
・音の刺激に敏感なため、電車やカフェでイヤホンから音漏れがする人、スマホのスクリーンショットをパシャパシャと撮る人、大きな声で会話をする人、携帯電話で話をする人などが非常に苦手。日常生活では私が耳栓をすれば済むものの、仕事仲間でこういう人がいると勘弁してほしいと思う。カフェで打ち合わせをした場合、他人の大声を嫌う私もそれなりに大きな声で話さなければならないし、何より周りの音を遮断するすべがない。よって、カフェでの打ち合わせはまず無理である。
・途中でこまめに休憩を挟む代わりに、仕事をしている時は集中して作業をしたい。だから、日中の電話には出ないことが多いとご了承いただきたい。メールは即座の返信を求められると困ってしまう。1日に数回まとめて読んで返信している。まして、LINEでチャットをしながら仕事をするなどというのはかなり難しい。
・根が几帳面なので、仕事が雑な人はNG。仕事が雑かどうかは、メールの書きぶりややり取りの頻度でだいたい解る。

《参考》
実際に私が使用している耳栓。類似の耳栓の性能からして、だいたい30dBの音量が下がると思う。人の通常の話声が約60dBであるから、約半分の音量になる計算だ。ただし、さすがに近距離の話声はあまりカットできない。女性の話声に対する効果もやや薄い。なお、自動車や自転車の走る音は普通に聞こえるので、道を歩いていて支障をきたすことはない。



繰り返しになるが、「障害のためにできないことが多いので助けてほしい」と最初から縋りつくのは、相手にとって気持ちのよいものではない。障害はあるけれどもその制約の中で自分に可能なことを伝えなければならない。障害者は基本的に何もできない人だと周囲から思われている節が今でもある。障害者は自らのトリセツを掲げて、その誤解を解いていく。そうすると、周りの人たちは「そういうことができるのであれば、それが活きるフィールドを作ろう」と動いてくれる。おそらく、パラリンピックはこうして用意された舞台であるに違いない。

障害者雇用にしても、障害者が自らのトリセツを粘り強く訴え続けた結果だと思う。障害者が自らのトリセツを作成することが難しければ、その人のことをよく観察している第三者が作成してもよい。障害者やその支援者から寄せられたトリセツを受けて、障害者雇用を推進した官僚の1人が村木厚子元厚生労働省元局長である。村木氏が2015年9月に退官した後、「平成30年度予算の編成等に関する建議財務省の予算建議」に、障害者を社会の「支え手」として位置づける文言が初めて入ったのも、村木氏の在籍時の活動が大きく貢献している。

前述した私のトリセツには、双極性障害を理由とするものもあれば、私の能力や性格、価値観などが影響していることも混在している。以前の記事「【2018年反省会(15)】うつ病・双極性障害・統合失調症の違いはグレー」でも書いたように、障害の有無と能力の高低は境目が非常に曖昧だと私は考えている。よって、トリセツには障害と能力の程度の両方が反映される。だから、実を言えば、障害があろうとなかろうと、全ての人は自らのトリセツを公開した方がよい。プロ野球の世界では、シーズンオフにある選手が他球団に移籍すると、なんJというインターネット上の掲示板にその選手のトリセツが掲載される。例えば、広島・丸佳浩選手の巨人入りに伴う人的補償で広島入りした長野久義選手のトリセツはこんな感じだ。

・ファンサはとてもいい
・でもヒロインは下手
・空っぽ空っぽ言われるぐらいなんであんなクソボールに手を出す!?っていう球に手が出る
・息を吹き返したかのように突然4安打する(長野くじ)
・ここ最近の好調が嘘かのように突然4タコする(長野くじ)
・外野は全部できるが、フェンス際の守備が苦手
・超夏男、春は諦めろ

巨人にFAで移籍した炭谷銀仁朗選手のトリセツは概ね以下の通りである。

・怪我しないので控えにいると安心
・選球眼なし
・初級ポップ
・バントもそこそこ失敗
・打撃は波があるから打てない時はあまり使わないのが吉
・たまにハイパー覚醒モードあり

もちろん、これらはなんJ民がネタで作成しているネタにすぎない。しかし、選手が自分のトリセツを開示することは、首脳陣が戦術を練る上で大いに参考になるし、他のチームメイトにとっても、一緒にプレーするに際してどんなことに気をつければよいのかを理解する手助けとなる。ビジネスパーソンも勤め先で自分のトリセツを訴求しなければ、苦手な仕事をさせられて失敗しても、上司からの叱責に何も反論できない。トリセツを何度見せても異動の希望が叶うとは限らないのに、トリセツを見せないといつまで経っても会社都合で異動させられる。

トリセツを公表することにはリスクもある。特に、精神障害者であることをオープンにするのはデメリットの方が大きいと思われるかもしれない。私のトリセツを読んでも、やはり精神障害者とは一緒に仕事ができないと感じる人は、私から離れていくだろう。しかし、私のことをよく知らずに、私にとって変な仕事を要求されても、お互いに困るだけだ。だから、私のトリセツは一種のスクリーニングの役割も果たしている。私とつき合いのある診断士の大半は私が病気持ちであることを知っている。ありがたいことに、それでも私とつき合ってくれる人たちばかりである。顧客企業の中にも、私の障害を把握した上で、仕事を発注してくださるところがある。

《2019年6月26日追記》

自分にとって健康で自分らしい生き方とは、自分の障害を受け入れたうえで治療に専念し続けながら真の自由を手に入れるために良い意味であがき続けること、そして社会からの需要は自分から作るものであるということ、さらにその需要(期待)に応えようとするひたむきな姿勢を維持することである。

 蔭山正子編著『精神障がい者の家族への暴力というSOS―家族・支援者のためのガイドブック』(明石書店、2016年)より引用。20歳で統合失調症を発症し、10年間は入院と治療中断を繰り返したが、30代になってから母親が経営する喫茶店でアルバイトをしつつ大学に入学して、その後大学の推薦により一般企業の電気施行管理となった方の言葉である。



何度も言うように、トリセツは「自分にできること」の説明から入らなければならない。最初から支援を要求するのは重大な誤りである。私が持っている中小企業診断士という資格制度は、戦後に大企業と中小企業の格差が拡大し、弱者である中小企業を救済する目的で構築されたものである。さすがに最近は、中小企業庁も「中小企業=弱者」と一律にはとらえていない。むしろ、全体の99.7%を占める中小企業が経済の原動力だとしている。しかし、中小企業の中には、未だに弱者という立場を悪用しようとする企業もあることは否定できない。

個人的には、中小企業基本法による中小企業の定義には懐疑的である。資本金が3億円の製造業と、資本金が1,000万円の製造業では、経営の実態が全く異なる。同じサービス業でも、製造業の要素が強い飲食店と、完全に労働集約型のマッサージ店では、ビジネスモデルが全然違う。百歩譲って経営の相違には目を瞑り、製造業の場合は資本金3億円あるいは社員数300人を超えるかどうかの境目で経営に困難を伴うことが多い、または倒産する確率が一気に上がるために特別の支援を必要とするといった理由があるならば、中小企業の定義にも納得できる。しかし、そのような根拠は希薄ではないかと感じる。

定義の妥当性は一旦棚上げするとして、法律が定める中小企業に該当すれば各種支援策が受けられる。補助金はその1つであり、診断士は補助金申請をお手伝いすることがある。だが、「何でもいいから補助金を引っ張ってきてほしい」、「補助金がもらえるならば新規事業をやる」、「アイデアはあるけれど、どの経費に対して補助金を申請すれば審査に通るのかは診断士の判断に一任する」などと言われた時には、相手が経営者であろうと本当にぶっ飛ばしてやりたくなる。自社を弱く見せて、弱者という立場に甘えているとしか言いようがない。

当たり前すぎることだが、「自社は○○をしようとしている。そのために○○という能力や技術を活用することができる。ただし、経営資源に制約があり、その経営資源を獲得するために資金調達をしようとしても、取引先の金融機関から追加融資を受けられないなどの制約がある。そのため、補助金によって資金調達をすれば、制約を乗り越えられる」とストーリーを仕立てるのが筋である。換言すれば、トリセツの企業版を作成するということである。

最近は、「プロ障害者」などという意味不明な人も存在する。「障害があることは弱みだが、強みを活かすという発想があるならば、弱みを活かす人がいてもよいではないか」などと言って、飛行機に無茶な搭乗をしては航空会社のサービスに不備があると主張するらしい。弱み自体は何の価値も持たない。私のトリセツにある、「仕事中に電話をしてほしくない」などというのは、完全に時代の流れに逆行している。ただし、「仕事中に電話をしてほしくないが、その間集中して作業をするので、他の人よりもクオリティの高い成果物を作成することができる」ことを証明できれば、相手にとって価値がある。弱みを強みに転じるとはそういうことを指す。

野村克也氏は弱いチームの監督になるたびに「弱者の戦略」を考案した。チームが弱いというだけで相手チームに立ち向かったら、玉砕するのがオチである。チームが弱い中でも何ができるのかを必死に考えた結果導き出されたのが弱者の戦略である。弱いだけでは相手に通用しない。まして弱さで相手と対等に渡り歩こうとするのは、単なる迷惑行為である。

「プロ障害者」という呼称についてもう1つ触れると、私は「プロ」という呼び名が好きではない。プロの語源はprofess(告白する)であるから、自分がプロであると公言すれば誰でもプロになれるなどというのは、訳が解らない。プロの本来の語源はprofessor(聖職者)である。聖職者になるためには、キリスト教の教えについて専門的な訓練を受け、その知識が十分であることを第三者から認定されなければならない。聖職者の間では一定の価値観や職業倫理が共有されている。そして、最も重要なのは、聖職者はその能力が十分でない場合、あるいは職業倫理に反する場合には破門されることである(後者の理由で破門されることが多い)。

だから、大昔に旧ブログで「プロフェッショナルの条件とは『辞めさせる仕組み』があること」という記事を書いた。この条件に当てはまる職業は、世の中にほとんど存在しないだろう。独立した診断士は「プロコン(プロフェッショナルコンサルタントの略)」と呼ばれる。私は自分がプロだと思ったことはない。なぜならば、診断士の制度には破門に等しい制度が組み込まれていないからだ。一応、中小企業診断士協会の規定の中には、資格停止となるケースが記載されている。だが、そこに書かれているのは、犯罪を犯した場合といった一般論である。診断士特有の能力や価値観を基準にしたものではない。そもそも、そんな基準は存在しない。「プロ障害者」などというのに対しては、破門されたら障害者でなくなるのかとでも言ってやりたい。

障害者であろうとなかろうと、自分のトリセツを持って社会を渡り歩く。その際、自分の能力が伸びないような場所を選ぶのは望ましくない。10年かかってもよいから、自分の能力が伸びるような経験を重ねたいところである。大半の人は、10年間も能力の伸びない仕事を続けたら飽きてしまうだろう。私は以前、ある小規模のコンサルティング会社と一緒に仕事をしていた時期がある。私には海外赴任の経験が全くないのに、なぜか海外事業に関する仕事に従事していた。会社の社長は私が精神障害者であることを知っていたし、社長自身も若い頃に精神疾患にかかり、それを克服したと教えてくれたことがある。

とはいえ、私のトリセツでも書いたように、私の身体がこのような具合であるため、長期の海外出張はほぼ不可能である。だから、自ずと国内でできる仕事に限定される。社長は私が納品した成果物を見て「すごいね」、「ここまで仕事ができるとは正直思っていなかった」などと言っていたものの、私がやった仕事は私が20代半ばの時にやっていたレベルの仕事である。そして、周りを見渡せば、20代半ばの時期に私よりも仕事ができる同年代の人は山ほどいた。社長は、コンサルティング業界の事情を知らなかっただけにすぎない。端的に言うと、私にとって上がり目のない仕事であった。それを4年も続けたのはよくなかったと反省している。

トリセツを受け取った側も、相手との長期的な関係を目指すならば、相手の能力を伸ばすように心がけてほしいと願う。相手が一般人でも障害者でも同じである。障害者の法定雇用率を満たすために、とりあえず障害者を採用して、昇給がほとんど見込めない単調な仕事に張りつけるようなことはしてほしくない(本人がそれを望んでいるのであれば別である)。もっとも、障害者には一般人とは異なる制約があるから、人材マネジメント論でよく見られるような、社員の能力を120%引き出すといった活用は難しいかもしれない。

とりわけ、精神障害者を焦らせると、病気をこじらせる可能性がある。だから、精神科医は精神障害者に対して、元通りの自分に戻ることは望まずに、ゆっくり仕事をするようにとアドバイスする。精神障害者の勝手な都合と言われるかもしれないが、まずはその人が元々持っていた能力の70%ほどが発揮できる仕事から始め、長い年月をかけてそれを80%程度にまで持っていくようなマネジメントを実行してくれるとありがたい。その人が発揮しうる能力が存分に活きるような、今までとは異なるフィールドを用意してくれるのもありがたい(環境の変化が大きなストレスになる人もいるため、この方法が通用するかどうかは相手による)。

障害者の活動を紹介する報道番組では、NPO法人などで障害者が手作りで製作した作品が映し出されることがよくある。テレビに限らず、障害者の作業施設のHPでは、同じく障害者のハンドメイドによる製品などが掲載されていることが多い。私の意地悪な見方であり、障害者が別の障害者を差別していると非難されることを覚悟の上で言えば、障害者でも健気に頑張っているとアピールして同情を誘っているようにしか見えない。彼らは本当にそこまでしかできないのか、彼らの能力をできるだけ引き出した結果なのかと問いかけたくなる。

例えば、日本理化学工業という会社では、知的障害者が製造ラインに入ってチョークの製造に携わっている。プロップ・ステーションという社会福祉法人は、障害者が在宅でIT関係の仕事をできるように支援している。彼らは企業からの業務委託で働いているため、発注先の法定雇用率にはカウントされない。だが、法定雇用率に組み入れられることが全てではないことを示している。株式会社仙拓の創業者・佐藤仙務氏は脊髄性筋萎縮症という重度の障害があり、自身のことを「寝たきり社長」と呼んでいる。全ての障害者がこのような働き方をできるわけではない。ここまでできるのはほんの一部だと言われるかもしれない。しかし、その可能性がある限り、賭けてみる支援者がもっといてもよいのではないかと感じる。

戦国時代の武将・武田信玄は人材活用に長けていたと言われる。戦と聞くだけで震え上がり、無理やり戦に駆り出したら失神してしまったという臆病者の大蔵左衛門を目付に任命したのは有名な話である。武田信玄は子どもたちを集めて軍談をするのが好きであった。信玄の話を聞いた子どもたちは、①驚いて口を開けっ放しにしている者、②信玄と目を合わせず、肩の辺りに目線を合わせている者、③「おっしゃる通りです」とうなずく者、④「ちょっと厠に行ってきます」と言って立ち去る者の4パターンに分けることができた。

②の子どもは信玄の話に深く聞き入っている。①は信玄の話に圧倒されており、③は大して考えもせずに信玄に迎合し、④は信玄の話を聞いていたたまれなくなった者である。信玄の部下もおおよそこの4パターンに分類することができ、信玄は②のタイプを最も重用した。と同時に、それ以外のパターンに該当する武将にも何かしらの役割を与えた。適材適所のチームビルディングを実践した例として信玄の名が挙がる所以である。

ただし、私はこれらの話の続きを十分に勉強していない。大蔵左衛門はずっと目付にとどまっていたのか、他にできる仕事は本当になかったのかまでは解らない。生きるか死ぬかの戦国時代で、長期的に人材育成をしようなどと悠長なことは言えず、その時の状況に応じて、即座に適材適所を実現する方が現実的であったかもしれない。個人的に、適材適所という言葉には、今実行したい戦略に必要な種々の能力をほぼ100%持っている人たちをかき集めるというイメージがある。逆に、彼らの能力を将来の不透明な戦略に備えて伸長するという点がやや弱い。仮に、信玄のやり方が、私が適材適所という言葉に対して抱く印象通りであったとすれば、そこまで人材マネジメントの好例として持ち上げてよいのかと疑問に思う。

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