孔子の富貴観を誤解させた孟子の「富を為さんとすれば仁ならず」という言葉

孔子の富貴観を誤解させた孟子の「富を為さんとすれば仁ならず」という言葉

《参考文献》

論語 (1963年) (岩波文庫)
金谷 治
岩波書店
1963T

孟子〈上〉 (岩波文庫)
岩波書店
1968-02-16

孔子の教えを受け継ぐ孟子は、魯の季氏の臣下である陽虎の言葉を借りて、「富を為さんとすれば仁ならず、仁を為さんとすれば富まず」(巻第五滕文公章句上)と語っている。この文章を根拠として、仁を最高の徳と位置づける孔子は富や財産を否定したと言われることがある。しかし、『論語』には孔子が明確に富を否定した文章は1つもない。むしろ、次のような言葉が見られる。

子曰く、富と貴きとは、これ人の欲する所なり。その道を以てこれを得ざれば、処らざるなり。貧しきと賤しきとは、これ人の悪(にく)む所なり。その道を以てこれを得ざれば、去らざるなり。君子、仁を去りて悪(いず)くにか名を成さん。(以下略)(里仁第四―五)

「富や地位の高さは誰しもが望むところである。仁に従ってそれを獲得したのでなければ、その富や地位を維持することはできない。逆に、貧しさや地位の低さは誰もが望まないことである。仁に従っているのに貧しかったり地位が低かったりするというのであればよいのだが、そうでない場合はその貧しさや地位の低さは当然である。君子は仁を置き去りにしてどうして名を成すことがあるだろうか?(以下略)」という意味である。

孔子は、仁に従って獲得した財産や地位であれば肯定している。以前の記事「竹内均編『渋沢栄一「論語」の読み方』―明治豪傑の渋沢評」で「日本の近代資本主義の父」と呼ばれる渋沢栄一を取り上げたが、渋沢は『論語』のこの文章をよりどころに「道徳経済合一説」を掲げ、「論語で事業を経営してみせる」と言って、生涯のうちに約500もの企業の設立に携わった。

「仁―不仁」、「富―貧」という2軸でマトリクスを作ると、人間のタイプを4つに分けることができる。「仁かつ貧」と「仁かつ富」のどちらがより理想的かと問われれば、やはり後者であろう。その手がかりとなる文章がある。

子貢曰く、貧にして諂うなく、富て驕ることなきは、如何と。子曰く、可なり。未だ貧にして楽しみ、富て礼を好む者には若かざるなりと。(以下略)(学而第一―十五)

「弟子の子貢が尋ねた。『貧しいがこびへつらうことなく、お金持ちだが驕り高ぶることがない人というのはいかがでしょうか?』先生が答えた。『よいだろう。だが、貧しくてかつ仁を楽しみ、お金持ちでかつ(仁が表に現れた形式である)礼を好む人には及ばないね』」。類似の文章が2つ並ぶ時には、書き手(話し手)は後者を重視していることをうかがわせるのが漢文の構造である。すなわち、孔子の回答は、「貧しくて仁を楽しむ人には及ばないし、“もっと言えば”、お金持ちでかつ礼を好む人には及ばないね」と解釈することが可能である。

上図で示したように、「仁かつ富」という究極の理想形に至るルートは3つ考えられる。孔子は、まずは仁を獲得し、その次に富を形成するという順番をよしとした。

子張、禄(ろく)を干(もと)めんことを学ぶ。子の曰わく、多く聞きて疑わしきを闕(か)き、慎しみて其の余りを言えば、則ち尤(とがめ)寡(すく)なし。多く見て殆(あや)うきを闕き、慎しみて其の余りを行なえば、則ち悔(くい)寡なし。言に尤寡なく行に悔寡なければ、禄は其の中に在り。(為政第二―十八)

「弟子の子張が俸給を得る方法を学ぼうとした。先生は言われた。『たくさん聞いて疑わしいところを省き、それ以外の自信の持てることを慎重に口にすれば、過ちは少ない。たくさん見てあやふやなところを省き、それ以外の確実なことを慎重に実行すれば、後悔は少ない。言葉に過ちが少なく、行動に後悔が少なければ、俸給は自然に得られるものだ」という意味である。「多く聞きて疑わしきを闕き、慎しみて其の余りを言」うとか、「多く見て殆うきを闕き、慎しみて其の余りを行な」うというのは、仁の実践方法を具体的に言い表したものである。孔子は、仁に忠実であれば、結果的に高い給料がもらえるようになると説く。

実は、冒頭で紹介したように「富を為さんとすれば仁ならず、仁を為さんとすれば富まず」と言った孟子も、別の箇所では次のような事例を引いている。

昔者(むかし)趙簡子(ちょうかんし)、王良(おうりょう)をして嬖奚(へいけい)の与(ため)に乗らしめしに、終日にして一禽をも獲ず。嬖奚〔簡子に〕反命して天下の賤工(せんこう)なりといえり。或ひと以て王良に告ぐ。良曰く、請う之を復(ふたた)びせんと。強いて〔請いて〕後に可(ゆる)さる。一朝にして十禽を得たり。嬖奚反命して天下の良工なりといえり。

簡子曰く、我女(なんじ)のために乗ることを掌(つかさど)らしめんと。王良に謂(かた)る。良可(き)かずして曰く、吾之が為に我が馳驅(ちく)を範(かた)のごとくすれば、終日にして一をも獲ず。之が為に詭遇(きぐう)すれば、一朝にして十を獲たり。詩には、その馳(は)することを失わざれば、矢を舍(はな)って破(あた)るとこそいえ。我、小人のために乗るに貫(なら)わず。請う辞せんと。(巻第六滕文公章句下)

「昔、趙簡子は、馬車の操縦者である王良に命じて、お気に入りの臣下である嬖奚と一緒に狩りをやらせた。しかし、一日がかりで一匹も捕らえることができなかった。そのため、嬖奚は趙簡子に対し、『王良は天下一の下手くそです』と報告した。このことをある人が王良に告げると、王良は趙簡子に『お願いです。もう一度やらせてください』と嘆願した。すぐには聞き入れられず、無理を頼んでやっと聞き入れられた。次に狩りを行うと、朝飯前には既に十匹もの鳥獣を獲ることができた。嬖奚は今度は、『王良は天下一上手な操縦者です』と趙簡子に報告した。


趙簡子は『それでは王良をお前の専属の操縦者にしよう』と言い、王良に依頼したところ、王良は意外にも承知しなかった。王良は言った。『私が嬖奚のために法にかなった正しいやり方通りに馬を走らせたら、一日かかって一匹も獲物を獲ることができませんでした。逆に、嬖奚に調子を合わせ法を度外視して走ったら、朝飯前に十匹もの獲物が獲れたのです。(それほど、嬖奚は弓を射るのが下手です。)詩経にも、『馬車さえ正しく走らせれば、矢を放って空矢はなく、必ず当たる』と書いてある通り、射手が上手なら必ず当たります。私は下手くその射手を乗せて操縦するのには慣れておりません。どうかご依頼を辞退させてください』」

王良は、法に則った正しいやり方をすれば結果は後からついてくると主張しており、逆に法を無視したやり方で得た結果を否定している。この点で、孔子の考えと共通する。各国の王に対して仁政を説いて回った孟子も、結構な報酬を得ていたことをうかがわせる文章がある。

彭更問いて曰く、後車(こうしゃ)数十乗、従者(じゅうしゃ)数百人、以て諸侯に伝食(でんしょく)す。以(はなは)だ泰(おご)らずや。孟子曰く、其の道に非ざれば、則ち一箪(たん)の食(し)も人より受くべからず。如(も)し其の道ならば、則ち舜、堯の天下を受くるも以て泰(おご)るとなさず、子は以て泰るとなすか。(巻第六滕文公章句下)

「弟子の彭更が尋ねた。『先生は失礼ですが一介の浪人なのに、後ろに何十台という車を連ね、何百人というたくさんの従者を引き連れて、諸侯の国々を次から次へと禄を食んで渡り歩くというのは、分に過ぎた驕りではないでしょうか?』孟子が答えた。『道理に従っていなければ、一膳の飯でももらってはならない。逆に道理に従っているならば、舜のように尭の天下をそのまま受け継いでも驕りではないだろう。お前はそれを驕りだと思っているのか?』」

仁を貫けば富は自然と手に入るとはいえ、「仁かつ富」に至る途中で「仁かつ貧」というプロセスを経験しなければならないのが大変である。「仁かつ貧」の手本として孔子が名前を挙げているのが、弟子の顔淵である。孔子には約3,000人の弟子がいたと言われるが、その中で特に優れた10人は「孔門十哲」と呼ばれ、顔淵も数えられている。閔子騫、冉伯牛、仲弓の3人と並んで、徳行に優れていたと評される。

子曰く、賢なるかな回や。一箪の食、一瓢の飲。陋巷にあり、人はその憂いに堪えず。回やその楽しみを改めず。賢なるかな回や。(雍也第六―十一)

「先生が言われた。『何と賢明な人だろうか、顔淵というのは。竹の容器に入れられた貧しい食事と、瓢箪の容器に入れられたわずかな飲み物で満足し、しかも狭くてむさくるしい町に住んでいる。他の人であればその暮らしを憂い、とても耐えられないだろう。それなのに、顔淵は生活を変えようとしない。何と賢明な人だろうか、顔淵というのは』」。「賢なるかな回や」という文が2度登場するぐらい、孔子は顔淵のことを手放しで褒めている。

とはいえ、顔淵のような人物は稀であり、普通は貧乏だと恨みがましくなるものだ。

子曰く、貧にして怨みなきは難く、富んで驕ることなきは易し。(憲問第十四―十一)

「貧しくて恨みがない人というのは滅多になく、まだお金持ちで驕ることがない人の方が簡単に見つかる」と孔子は指摘する。ここから、先に富を獲得させた方が仁の境地に至りやすいのではないか、という考えが浮かび上がる。つまり、「仁かつ富」に至るルートとして、「仁かつ貧」を経るのではなく、「不仁かつ富」を経るというわけだ。

子、衛に適(ゆ)く。冉有僕(ぼく)たり。子曰く、庶(おお)きかな。冉有曰く、既に庶し。又た何をか加えん。曰く、これを富まさん。曰く、既に富めり。又た何をか加えん。曰く、これを教えん。(子路第十三―九)

「先生が衛の国に向かう際、弟子の冉有がご一緒した。先生が衛の国に到着すると、『人が多いね』とおっしゃった。冉有は、『既にたくさんの民衆がいます。さて先生なら次に何をなさいますか?』と尋ねた。先生は、『彼らを豊かにしよう』と答えた。すると冉有は、『民衆が豊かになったとしたら、先生は次に何をなさいますか?』とさらに質問した。先生は、『そうしたら民衆を教え導くことにしよう』と答えた。」

孔子が「仁かつ貧」を経て「仁かつ富」に至るルートを絶対視しているならば、「これを富まさん」と「これを教えん」は逆となるはずである。ところが、「これを富まさん」⇒「これを教えん」という順番になっているところを見ると、「不仁かつ富」から「仁かつ富」に至るルートも想定されているように感じる。

孟子はもっと踏み込んで、

恒産無くして恒心有る者は、惟(ただ)士のみ能くすと為す。民の若(ごと)きは即ち恒産無ければ、因りて恒心無し。(巻第一梁恵王章句上)

「生業がなくても安定した道義心を持つことができるのは、学問修養のできた士だけである。一般の人は生活が安定しなければ、安定した道義心を持つことができない」と明言している。

孟子は理想主義者で、いつも性善説を振りかざすやや浮世離れした人物だと揶揄されることがあるが、大国である梁の恵王や斉の宣王、小国である滕の文公など政治家と広く接していた経験があるからか、時折非常に現実的な見解を披露することがある。孟子は民衆の性質をよく踏まえた上で、まずは生産手段である田畑を整備し公平な税制を導入して民衆の手元に財産が残るようにし、その後で教育を施すべきだと繰り返し諸侯に説いた。

孟子が「富を為さんとすれば仁ならず、仁を為さんとすれば富まず」と言ったのは、「富を形成している途中では仁の心を獲得することは不可能であり、仁の心を獲得している途中では富を形成することは不可能である」というプロセスの性質を表現したまでであり、結果として「仁かつ富」という状態が実現されることは決して否定されていないというのが私の見解である。だが、「仁かつ貧」からであれ「不仁かつ富」からであれ、「仁かつ富」に至るには遠回りであり、より直接的に「仁かつ富」を目指すことができないものだろうか?

企業経営においては社会的責任(CSR)の重要性が高まっている。企業が経済的利益の追求に比重を置きすぎて、ステークホルダーの利害を顧みず、社会の持続性を損なってきたことへの反省が込められている。だがCSRは、まずは本業で十分に儲けた企業がその一部を社会に還元するという色合いが強く、「不仁かつ富」から「仁かつ富」への移行を目指す取り組みである。その仁にしても、ステークホルダーの利害を“損なわない”という程度の弱い仁にとどまることが多い。

孔子が理想のルートとした「仁かつ貧」から「仁かつ富」へと至る道は、社会的価値を実践すれば自然と経済的価値が生まれるというものであり、社会的価値と経済的価値との間の弱い因果関係を前提とした結果論的な発想に依拠している。これに対して、直接的に「仁かつ富」を目指すというのは、経済的価値と社会的価値を同時に実現することを意味する。社会的価値が創造されなければいくら経済的価値があってもそれは無効であり、逆に経済的価値が創造されなければいくら社会的価値があってもそれは無効となるような、厳しい条件を要求する。

競争戦略論で有名なマイケル・ポーターが提唱したCSV(Creating Shared Value:共通価値の創造)は、より積極的に社会的価値の“創造”を目標としている。また、ステークホルダーの利害に対するCSRのやや消極的な態度とは異なり、CSVは社会的課題の“解決”を通じて経済的価値を生み出すという積極性を特徴としている。そして、近年急速に注目を集めているSDGs(Sustainable Development Goals:持続可能な開発目標)は、具体的な社会的課題を17のゴールと169のターゲットとして例示したものである。

ただし、今のところSDGsに取り組む企業は、ゴールやターゲットの中から自社と関連がありそうなものを選択するという方式をとっており、ややもすると恣意的、ご都合主義的に陥りやすい。SDGsがまだ新しい概念であり、普及のために簡易な方法に頼っているのは致し方ない面もあるだろう。真のSDGsは、その企業の目的やミッションから客観的、論理的に帰結される社会的課題を特定し、その課題の解決と企業の利益創出がいかなる関係にあるのかを示し、社会的価値と経済的価値を同時に達成する経営のあり方を可視化するものでなければならない。