四書五経の1つ『詩経』が伝えたかったのは「ヨコの関係」の重要性ではないか?

四書五経の1つ『詩経』が伝えたかったのは「ヨコの関係」の重要性ではないか?
 

詩経 (中国古典新書)
石川 忠久
明徳出版社
2011-02-10

論語 (岩波文庫 青202-1)
岩波書店
1999-11-16

書経 (中国古典新書)
明徳出版社
1974-01-10

四書五経は、儒教の経書の中で特に重要とされる四書(『論語』、『孟子』、『大学』、『中庸』)と五経(『詩経』、『書経』、『易経』、『春秋』、『礼記』)の総称である。このうち『詩経』とは中国最古の詩集であり、古代の宮廷や各地の民間の歌謡305篇を集めたものである。石川忠久『詩経』(明徳出版社、1984年)は、代表作50篇を精選し、考古学や歴史学など関連諸学の成果を踏まえつつ、作品の背景にも触れながら解説した1冊となっている。

伝説によれば、周王朝の採詩の官が諸国をめぐって採集したおおよそ3,000の歌謡を、孔子が編集して10分の1の300篇に削り定めたという。ただし、著者の石川忠久氏は、周王朝に採詩の官という制度があったとは考えておらず、また孔子が3,000の歌謡を300に削ったというのもあり得ないとして否定的な立場を取っている。とはいえ、『論語』には「詩三百」という言葉が見られることから、孔子の時代には既に現在の『詩経』とほぼ同じ形のものが存在した点は認めている。

子曰わく、詩三百、一言以てこれを蔽(おお)う、曰わく思い邪(よこしま)なし。

【現代語訳】先生はおっしゃった。「詩経には300以上の詩があるが、その詩に書かれていることは1つの言葉でくくることができる。それは『よこしまなでない、まっすぐな気持ち』ということである」と。(為政第二―2)

歌に様々な目的や意図、効用があることは、今も昔も変わらない。古代中国では、各地で歌われる歌謡には政治に対する評価が表れているとされ、為政者は民衆の歌謡に耳を傾けた。歌を通じて、いわば世論調査のようなことを行っていたわけである。『詩経』と同じく四書五経の1つで、古代帝王の記録を集めた『書経』には、次のような文章がある。

われ六律五声八音を聞き、治忽(ちこつ)を在(あき)らかにし、以て五言を出納(すいとう)せんと欲す。汝聴けよ。

【現代語訳】余(=舜帝のこと)はまた、音楽は世の治乱を反映するものと見なし、音楽におけるさまざまの音色を聞いて、政治の得失を察し、よき歌謡を民間に広めて民心を陶冶し、民の歌う歌謡を聞いては民情を察せんとするものである。汝ら臣下も、音楽・歌謡を耳にしては、政治の善否を明察しなくてはならぬぞ。(虞書・益稷第五)

なるほど、「黄鳥」という詩では、酒におぼれて政治をないがしろにした秦(※春秋時代の国の1つ。紀元前778年~紀元前206年)の穆公(※第9代公。生年不明~前621年没)が死去した際に一緒に殉死させられた奄息・仲行・鍼虎という3人の良人を民衆が悼む様子が歌われている。「如し贖ふベくんば/人は其の身を百にせん(身代わりが許されるならば、百人の人をそれにあてたいものだ)」という表現は、殉死がもたらした犠牲の大きさをうかがわせる。

「大東」という詩は、周(※紀元前1046年頃~紀元前256年)の都の政治が退廃していることを、都から見て東側に位置する大小の国々の民衆が批判したものである。周は孔子が仁政の理想とするほどの王朝であったが、時代が下るにつれてその精神はやつれてしまったようだ。都の人はうまい酒を楽しんでいるのに、東国の人は薄めた酒すら飲めないとか、都の子どもは色鮮やかな着物に身を包んでいるのに、東国の子どもはひたすら使役されて報われないといった東西格差が見える。刈り取った柴を湧き水に浸しては使い物にならないのと同様、苦労で涙に暮れる民衆の心は傷み切って労働に耐えないから、どうか休息させてほしいという、切実な思いもにじむ。

心に余裕がある為政者は、このような歌謡に耳を傾け、民衆の気持ちを汲み取り、自らの至らない部分を反省したのだろう。心に余裕がない為政者には民衆の歌謡が届かず、よってその国は衰退・滅亡してしまったのだろうが、歌謡だけは『詩経』のように残り続け、後世の為政者にとって重大な教訓となったに違いない。

私自身は根がネガティブな人間なせいか、「柏舟」のような鬱々とした歌にどこか強く惹かれる節がある。「閔(うれい)に覯(あ)ふこと既に多く/侮(あなど)りを受くること少なからず/静かに言に之れを思ひ/寤(さ)めて擗(むねう)つこと摽(ひょう)たる有り(憂いに遭うことも多くあり、侮辱をうけることもしばしばであった。じっと静かに思いをめぐらすと、胸をうつことばかりだ)」という重苦しい表現に目を奪われる。とはいえ、こうした表現だけであれば、何もそこまで特別な歌だとは思わない。

しかし、「我が心石に匪(あら)ず/転ずべからざるなり/我が心席(むしろ)に匪ず/巻くべからざるなり(私の心は石でないから、転がすことができない。私の心はむしろではないから、巻くことはできない)」という独特の比喩と合わせて見ると、作者の意思は一本筋が通っていて鋼のように固く、ひるがえって周りの連中の軟弱さを見るにつけ腹立たしいことが多い一方、本当は彼らのように柔軟に物事に臨むことができたら、もっと人生が楽になるだろうにという作者の錯綜した心理を読み取ることが可能となる。

『詩経』は歌謡集であるから、「文化」の一種である。以前書いた「2018年反省会シリーズ」の記事の中で、文化とは「権力の性質を表すもの」と表現した。権力とは倫理・道徳・規範を強制するパワーのことであり、為政者が明示的に発揮するパワーと、社会全体が人々に対して暗示的に発揮するパワーとがある。

【2018年反省会(21)】「それって必要ですか?」とすぐに聞く社会では教育も子育ても天皇制の維持も無理

【2018年反省会】記事一覧(全26回) 《今回の記事の執筆にあたり参考にした書籍》 遊びの文化論 [ハードカバー] 薗田 碩哉 遊戯社 1996-04 社会にとって趣味とは何か:文化社会学の方法規準 (河出ブックス 103)

権力の性質の表し方によって、文化は大きく3種類に分けられると私は考える。1つ目は、「パワーが正しいことをそのまま記録・伝達するもの」である。為政者のパワーの正しさを表現した詩としては、殷(※紀元前17世紀頃~紀元前1046年)の始祖である契(けつ)の誕生神話に基づく「玄鳥」や、周の始祖で農業の礎を築いた后稷(こうしょく。棄〔または季〕とも言う)の実績を歌った「生民」、周の聖帝として名高い文王(※紀元前1112年~紀元前1056年)を称える「文王」などがある。

民衆に道徳や倫理が行き渡っていることを示すものとしては、「蟋蟀」が挙げられる。収穫を終えた農民が、「楽しみを好むも荒(すさ)むこと無かれ/良人は瞿瞿(くく)たり(楽しみを好んでも、その楽しみにおぼれてはならない。すぐれた男はいつも慎んでいるものだ)」と自らに言い聞かせ、年末にかけての生活を律する。

為政者のパワーの正しさを記録する歌は、帝王学として後世に伝承されたのだろう。社会のパワーの正しさを伝える歌は、しつけの効果を持つ。両者を合わせて一言で言えば、「教育」である。

権力の性質の表し方の2つ目は、「パワーが正しく発揮できるようにとの願望が表出したもの」である。例えば為政者は、「鹿鳴」という歌の中で、宴会への参加者を鹿の神になぞらえ、参加者が皆徳の高い優れた人たちであると持ち上げて、「周行を示せ(私に周王朝の徳行を教えてほしい)」と懇願する。

民衆に関して言えば、『詩経』には結婚や農事が順調に進むことを願う歌謡が多く収められている。「桃夭」や「淇奥」は、多実である桃や繁殖力の高い竹に言及することでその霊性にあやかり、夫婦が仲睦まじくすることを誓い、子宝に恵まれた家庭になるようにと願っている。「定之方中」は、農耕祭の手順を1つずつ描写した歌で、民衆が勤勉と協調の精神によって農事に勤しむから、どうか豊作であれと祈るものである。古代中国では、神の力を借りるために「祭祀」が積極的に執り行われた。これが文化の2つ目の側面である。

3つ目は逆に、「パワーが正しく発揮されなかったことへの反省・批判を表明するもの」である。為政者の失政を表現したものには、前述の「黄鳥」がある。民衆側の失敗の歌としては、「蝃蝀」が挙げられる。蝃蝀とは虹を指す。結婚するにあたっては守るべき礼(ルール)があるのに、女性がそれを破って家族と離れ、嫁入りを急ぐために不吉な虹が出たと遣り込める。虹を美しいと思う現代人とは異なり、古代中国では虹は淫らなものとされていたそうだ。

正しいものをストレートに正しいと表現するだけの文化には、実はそれほど面白みがない。教育一辺倒の社会はどうも息苦しい。社会主義国家では、統治者の権力の正統性を表す歌が作られ、国民がそれを熱唱するが、その顔はどこか楽しくなさそうである。

文化を豊かにするのは、正しさからの逸脱をカバーする要素である。文化の2つ目の側面として指摘した祭祀は、「これから正しくパワーが発揮されるように」と願うものであり、裏返せば現時点ではまだパワーが正しく発揮されていないことを意味する。これを、正しさからの逸脱状態の一種と呼んで差し支えないだろう。ただ、祭祀が文化の重要な一要素であることは間違いないものの、祭祀以上に文化を文化たらしめているのは、3つ目の側面である。

随分昔に、ある芸能人が「不倫は文化だ」と叫んだことがあった。あるべき夫婦関係というものが社会的に規定されており、誰もが社会的なパワーに従わなければならないと解っているのに、そこから外れる不倫という関係を根絶やしにすることはほぼ不可能に近い。とはいえ、不倫によって人間の弱さを知ると同時に、本当に愛のある人間関係とは何かと考え込む契機が与えられる点では、正しさからの逸脱は決して軽んじられるべきではない。この事象に名前をつけることは私には難しいので、ひとまず「狭義の文化」としておく。

要するに、文化には「教育」、「祭祀」、「狭義の文化」という3つの位相があり、「祭祀」や「狭義の文化」の充実度合いに比例して、文化は質的に高度化する。我々が正しいことを理解するには、正しさそのものを直接認識するのが最も効率的である。しかし、正しさの裏返しである正しくないことから回り込むのも1つの手である。迂回路は一見非効率であるが、迂回路が多岐にわたるほど、我々はかえって正しさについてよく思案するようになる。以前の記事で、「文化は非効率であるほど望ましく、『それって必要ですか?』とすぐに尋ねるような社会には希望がない」などと書いたのはこうした理由による。

『詩経』に収録されているそれぞれの歌が、文化のどの側面を表すものなのかは明示されていない。よって、読む人によって、実に様々な解釈が成り立つ。例えば、「子衿」という歌は、鄭(※春秋時代の国の1つ。紀元前806年~紀元前375年)の学校が荒廃したことを嘆く歌という解釈もあれば、男女の淫奔をそしるものだという解釈もあれば、これらとは全く異なる切り口から、春の風の神を送る歌だとする解釈もある。

解釈する人が『詩経』をどのような書物と位置づけるかによって、解釈の方向性は変わる。石川忠久『詩経』(明徳出版社、1984年)を通読すると、古代からの注釈書である「集伝」、「毛伝」、「鄭箋」は、政治批判の歌だという解釈を繰り広げる傾向が強いと感じる。一方、中国古代思想の研究家である赤塚忠氏には祭祀と関連させた解釈が多く、著者も頻繁に言及している。

四書五経の1つである『詩経』は、儒家が重視する「仁」の精神を伝えることを目的としているであろう。そのためには、為政者、特に儒家が称賛する古代聖帝の仁に触れるのが最も効果的である。だが、もし編纂者の意図がその通りだとすれば、先ほど触れた「玄鳥」、「生民」、「文王」などのような歌が『詩経』の先頭に配置されるはずである。実際には、これらの歌は『詩経』の終盤に収録されていることから、編纂者の狙いはもう少し別のところにあるように思える。聖帝の話は『論語』などで散々述べているので、『詩経』は『論語』とはやや異なる目的で四書五経の一部をなしているととらえた方がよさそうである。

同じく四書五経の1つである『大学』は、「修身斉家治国平天下」という発想に立脚している。仁の心を習得するには、まずは我が身を修めることから始め、次に自分の家を調和させなければならない。自分自身と自分の家庭を大切にすることができて初めて、一国の正しい統治が可能となる。そして、一国を保つ者が最終的には天下全体を安泰にする。

とりわけ家を重視するというのは儒家に特徴的である(それゆえ、しばしば封建主義的だと批判される)。『詩経』もこの流れを汲むのであれば、例えば「凱風」のような、親子関係を連想させる歌がもっとたくさん収録されていてもよいのにと私は思う。「凱風」は7人も子どもがある未亡人がひそかに男をこしらえたのを見て、子どもたちが母の苦労を慰め、母を感動させて過ちをとどめたという歌で、親孝行を表現していると解釈される。やや極端な状況設定だが、それがむしろ文化の質をより高めるのに貢献する。ところが、こうした歌が他にはあまり見られないことから、親子関係は『詩経』の主眼ではないのかもしれない。

『詩経』に多く見られる歌は、夫婦関係を題材にしたものである。『詩経』の最初に配されているのは「関雎」という非常に大らかな愛の歌で、男性が妻を求める姿を、雎鳩(みさご)が魚を捕らえる様子に比している。そして、「集伝」が「関雎の応」と評した「麟之趾」という歌が(「関雎」の次ではないが)近接する。麟=キリンは凛々しい男性の比喩であり、「麟之趾」はそれを称え迎える女性の歌である。この2つの歌の構成が、『詩経』の主目的を大きく規定しているはずである。『詩経』とは現代で言えば「ミュージックアルバム」であり、アルバムの1曲目は作品全体に通底する思想をよく代表するものである。

一般に、儒教は「タテの関係」の中で仁を実践する教えだと認識されている(繰り返しになるが、それゆえしばしば封建主義的だと批判される)。しかし、四書五経の1つである『中庸』には、人間が守るべき5つの道として、「君臣の義、父子の親、夫婦の別、長幼の序、朋友の信」が列記されている(合わせて「五達道」と呼ぶ)。君臣の義、父子の親、長幼の序はタテ関係を指す一方で、夫婦の別、朋友の信というヨコ関係も含まれている。夫婦の「別」という言葉遣いには、夫婦で価値観が“別々”であっても、お互いに“独立”した人間として尊重しようというニュアンスが込められているのだろう。

私は、『詩経』とは「ヨコの関係」の重要性を訴求することを主目的として編纂されたものであり、ヨコ関係を夫婦関係に代表させているのではないかと考える。五達道を掲げているとはいえ、やはり理想的なタテ関係の描写に傾倒しがちな他の書物の内容を補完するために、ヨコ関係を数多く扱った『詩経』を意図的に四書五経の中に数え容れたような気がする。

なお、春秋時代には諸国の外交官が『詩経』を暗誦し、他国との交渉にあたっていたそうだ。春秋時代とは、小国が各地に群雄割拠した時代である。それぞれの国は協調と対立を頻繁に繰り返した。中国全土を支配する大国が存在しない状況の下で、各国はお互いにヨコの関係に置かれていたわけで、ヨコ関係を説いた『春秋』が外交官の必須教養であったとしても不思議ではない。

ただ、実際にどのように交渉の場で『詩経』が用いられていたのかは、残念ながら私には解らない。石川忠久氏の解釈によると、『詩経』には2つで対をなす歌がいくつかあり、男女がお互いの心情を披露し合うものになっているという。例えば先ほど挙げた「関雎」と「麟之趾」も対である。あくまでも推測の域を出ないが、ある国が相手国との同盟を望む際に「関雎」を投げかけ、相手国がそれに応じるならば「麟之趾」を返信するという往来があったのかもしれない。

逆に、男女関係の破綻をうかがわせる対も存在する。男性が結婚の期待をかけたのに裏切られたことを歌っている「葛屨」と、女性が男性に心惹かれるものの望みをかけてはならぬ人だと距離を置こうとしている「汾沮洳」は対になっている。同盟関係が破綻しかかっている時に、一方の国が最後通牒のような形で「葛屨」を突きつけたことも想像できる。相手国から「汾沮洳」が返ってきたら、いよいよ同盟関係には望みがないと解る。同盟関係の真の終了を決定づけるために、わざわざ男女関係の破綻の歌を使用した可能性もあるように思える。形式的と言ってしまえばそれまでだが、外交儀礼という言葉があるように、外交では案外形式が重んじられるものである。