レジリエンス(再起力)を発揮するための7ステップ

レジリエンス(再起力)を発揮するための7ステップ
 

レジリエンス(resilience)とは、跳ね返り、弾力、回復力、復元力という意味を持つ言葉である。ストレス(stress)とともに物理学の分野で使われていた言葉であるが、近年は個人や組織が「様々な環境・状況に対しても適応し、生き延びる力」として使われるようになった。

レジリエンスという概念は、ナチス・ドイツによるユダヤ人の大虐殺行為「ホロコースト」によって生まれた孤児への追跡調査がきっかけとなって生まれた。元孤児の中には、過去のトラウマや恐怖の記憶から立ち直れず、生きる気力を見出せずに不幸な人生を送っている人々がいる一方、トラウマを乗り越えて仕事に就き、幸せに生きている人たちもいることが判明した。そこで、調査を進めていくうちに、逆境を乗り越えた人たちは、困難な状況に押し潰されることなく、「状況に準じて生き抜く回復力」を持っていることが解った。この調査結果により、レジリエンスという言葉が広く普及したとされる(https://bizhint.jp/keyword/14198 より)。

私などは12年前に精神疾患にかかって以来、何度も心が折れて5回も入院しているので、自分ではレジリエンスが強いとは思わない。ただ、一番大変だった2018年の危機(詳細は「【2018年反省会】シリーズ」を参照)、さらには昨年の危機を乗り越えて何とか仕事を続けることができるようになり、レジリエンスとはおそらくこういうものではないかと自分なりに腑に落ちたこともある。今回の記事では、レジリエンスの7ステップについて解説してみたい。

2018年反省会(全26回)~37歳での思考の1つの到達点にして1つの限界

双極性障害Ⅱ型と診断されている(診断名が確定していない理由は【第15回】を参照)私が、どういうわけか慌てまくって人生で一番苦しんだ1年を振り返ろうというシリーズ。このシリーズを読んだ人は皆切ない気分になるらしい。どうかそんなことを言わずに読んでください。ただし、全体で約24万字と、ハードカバーの書籍1冊分ぐらいのボリュームがあります。なお、5本ほどあまりに中身がなくて非公開にしている点はご容…

(1)エネルギーを回復する

深刻な危機に直面した場合に最も大切なのは「一旦休止して、再起のためのエネルギーを蓄えること」である。溺れている人が溺死するのは、溺れている最中に無理に泳ごうとするからである。溺れた時には、まずは全身の動きを止めて、自分の身体が水面にまで浮かび上がってくるのを待つのが最も得策である。

2008年の秋、最初にうつ病と診断された時に、私は休職もせずそのまま働き続けてしまった。当時の主治医との相性があまりよくなく、自分で勝手に通院と服薬を中止したのもまずかった。その後の1年間、ストレスの大きい2つのプロジェクトに立て続けに従事した結果、余計に体調が悪化し、2010年には社長から休職を命じられた。ところが、当時の勤め先がベンチャー企業で人手不足だったゆえか、私の仕事を完全に他の社員に引き継ぐことができなかった。私は休職期間中も、平均すると週に2日は自宅で仕事をした。

要するに、病気の初期の段階で、完全に休養していた期間がなかったのである。この時に十分な休息を取っていれば、その後の経過は違っていたかもしれない。

前述の通り、私は5回の入院経験がある。心療内科や精神科に入院した場合、何か特別な治療があるわけではなく、とにかく休むことが最大の治療であると医師から説明される。入院中は医師に従っていればよいものの、問題は退院直後のすごし方である。病院で1か月もただ横になっているだけの生活を続けると、どうしても体力が落ちる。慢性的に腰痛を抱えている私の場合は、入院中に腰回りの筋肉が弱ってしまい、腰痛が悪化することが多かった。にもかかわらず、退院後に筋トレを怠ったため、腰痛によるストレスから解放されることがなかった。こんな状態では、次に何かをしようとするエネルギーも湧いてこない。

非常に恥ずかしい話だが、40歳も近くなった最近になってようやく筋トレや水泳を始めて、運動を習慣化するようになった。腰回りの筋肉量が増えて、腰痛が軽減されつつある。身体の不調を気にしなくて済むことが、こんなにも生活の質の改善につながるのかと驚いているところである。

(2)戦い方を決める

同じフィールドでもう一度戦うのか、戦うフィールドを変えるのかを決めることは非常に重要である。自分が100%正しいにもかかわらず、周囲の無理解または周囲の罠によって身に覚えのない罪に問われた人は、自分の無実を証明することに尽力するだろう。これは、同じフィールドで捲土重来を期す場合である。

ただ、再戦を挑むのが望ましいケースは案外少ないように思える。精神疾患で休職を経験した人は、休んでいた分だけ周りの人に遅れを取ったことを負い目に感じて、復帰後は遅れを挽回しようと無理に頑張る傾向がある。しかし、それがかえって再休職につながってしまうことがあまりにも多い。精神疾患に限らず、重大な危機を経験した人は、能力、経験、時間、その他環境的要因など様々な面でハンデを背負う。その状態で、以前と同じ勝利を目指すのは非常に難しい。

私もこの事実を受け入れるのに随分と苦労した。若い頃から、組織開発や人材育成のコンサルティング分野でひとかどの人物になりたいと思っていた私は、度重なる入院でコンサルタントとしての経験値が伸びないことに焦りを覚えていた。30代も半ばになると、一般的なコンサルタントと同じやり方をしていては差別化できないと感じ、なぜか政治や経済の知識で自分の専門性を補強しようと、無茶な自己研鑽を重ねるようになった。しかし、私なりのコンサルティングのメソッドの開発には何一つつながらなかった。

私に必要だったのは、今まで自分がやってきた仕事の中で、周囲から高く評価された成果、自分らしさが活きた成果にもっと自信を持つことであった。その分野こそが研修開発であった。私にとっては、長年追いかけてきたコンサルタントとしてのキャリアの断念を意味するから、痛みを伴う決断であった。だが、状況に適応するとは、時に非情なまでに現実的になることである。

それでも再戦を果たしたいと、青い鳥を追いかける人はいる。社内競争のレールから外れることを恐れる人は特にそのような心理が強い。だが、入社後から何十年にわたり成功を積み重ねられる人など、ごくごく少数派にすぎない。どんな人でも、キャリアの途中で多かれ少なかれ、何らかの逆境や失敗、困難に遭遇するものである。

さらに言うと、マイナスの経験がない人を組織の上層部に出世させること自体が、組織にとって危険である。マイナスの経験がある大多数の部下の心理に寄り添うことができず、おそらくキャリアで最初の過ちをそこで初めて犯すだろう。最悪の場合は、その失敗が組織そのものを破滅させることになる。名選手が必ずしも名監督になれないのは、自分がスランプや弱みと向き合った経験が少なく、悩みを抱える多くの選手の人心掌握に失敗するからである。

長い目で見れば、キャリアに中断があり、紆余曲折があったとしても、決して恥ずべきことではない。この事実を知ると、レジリエンスは高まる。

(3)逆境を振り返る

よく知られている成功哲学は、失敗の原因を自己に求めよと説く。ところが、うつ病の場合は、自分自身を過度に責め、「自分はどうしてこんなにダメな人間なのか」と落ち込むことが病状の1つである。うつ病になっている状態で原因分析をすると、かえって病状が悪化する恐れがある。よって、うつ病の患者はあまり真面目に失敗の原因分析をしてはならないと教えられる。むしろ、環境のせいにしてしまった方が気分は楽になることがある。

私も当初はこの言葉を真に受けていた。自分が精神疾患に至った経緯に目を向けず、自分の勤め先であるベンチャー企業の経営がいかに問題だらけであるかということばかりに気を取られていた。2013年にまとめた前ブログの「ベンチャー失敗の教訓」シリーズを今になって読み返すと、当時の自分があまりにも他責的になっていることが解り、顔から火が出そうになる(恥を忍んで、当時の記事は消さずに残してある)。

【ベンチャー失敗の教訓(全50回)】記事一覧 : free to write WHATEVER I like

【第0回】はじめに 【第1回】経営ビジョンのない思い入れなき経営 【第2回】営業活動をしない社長 【第3回】製品開発・生産をしない社長 【第4回】何にでも手を出して、結局何もモノにできない社長 【第5回】とにかく形から入ろうとする社長 【第6回】リスク

私は初期の頃はうつ病と診断されていたのだが、途中で双極性障害Ⅱ型という診断名に変更された。自責的になりやすいうつ病に対して、双極性障害は気分が過度に高まって他責的になりやすい。私はこの違いを十分に理解していなかった。自責的なうつ病患者が自責的に失敗を分析するのがよくないのと同様、他責的な双極性障害患者が他責的になると病状を悪化させる。

私がようやく自分自身と向き合うことができるようになったのは、仕事がどうしようもなく行き詰まった2018年9月になってからであった。この時、発症から約10年が経過していた。独立診断士としての仕事が一向に軌道に乗らず、初めて自己分析を行った。その結果を、前ブログの記事「【中小企業診断士】私が独立診断士として失敗した5つの原因」にまとめた。

【中小企業診断士】私が独立診断士として失敗した5つの原因 : free to write WHATEVER I like

2011年7月に「オフィス・エボルバー」という屋号で開業し、2013年1月に屋号を現在の「シャイン経営研究所」に変更して、今年で独立診断士として丸7年を迎えた。ただ、2013年7月から2017年2月の3年半あまりは、ある中小企業向け補助金事業の事務局員として、半分会社員みたいな生活を送っていたので、純粋に独立診断士として活動したのは残りの約3年半である。その間、多くの方々に支えていただいたこ…

しかしながら、自分の仕事の分析をしただけでは、実は十分ではなかった。私は、精神疾患とは脳の病気、もう少し別の表現をすれば「考え方の癖の病気」だと思っている。考え方に偏りがあるために、自分自身の気分や感情を著しく害してしまうのがこの病気の特徴である。よって、私の考え方のどういう点に問題があるのかを点検する必要があった。それを行ったのは、昨年末に入院した時のことである。点検の結果は、以前の記事「病気の構造を理解する~認知行動療法・対人関係療法を下地に」で書いた。こうして自分の脳内を構造化することで初めて、考え方の癖を緩和する方策を思いつくようになった。

病気の構造を理解する~認知行動療法・対人関係療法を下地に

精神疾患の治療方法の柱は「薬物療法」である。うつ病の場合は抗うつ薬、双極性障害の場合は気分安定薬、統合失調症の場合は抗精神病薬を服用する。また、精神障害に広く共通して見られる不安、不眠に対しては抗不安薬や睡眠導入剤が使われる。ただ、(私も含めてそうだが、)病歴が長くなると薬物療法だけでは症状が好転しにくくなる。薬物療法以外の治療方法としては、「認知行動療法(CBT:Cognitive …

さらに、今年に入ってからは、前掲の「【ベンチャー失敗の教訓】」シリーズを書き直して、「【ベンチャー失敗事例】」シリーズへと再構築した。他責的だった私が約2年かけて自分のことを自責的に振り返ることで冷静さを取り戻し、その眼をもって当時の環境をもう一度敢えて他責的に分析したものである。内容的には、7年前よりもはるかに充実していると思う。

【ベンチャー失敗事例(1)】はじめに~経営理念が腹落ちしていなかった【Shared Value】

(※)本シリーズは、2013~2014年に前ブログで「ベンチャー失敗の教訓 」シリーズ(全50回)として執筆したものを、「マッキンゼーの7S 」フレームワークの視点を利用して全7回にまとめ直したものです。 …

失敗をした時にその原因を分析することは言うまでもなく大事である。ただ、自分に原因を求めなければならないというのは、一面的な見方だと感じる。自責的な人は他責:自責7:3ぐらいの割合で、他責的な人は自責:他責=7:3ぐらいの割合で原因分析するのがちょうどよいのではないかというのが私の実感である。

(4)目的を確認する

エネルギーが溜まり、自分の過去と十分に向き合うことができたら、これから先自分は何のために頑張るのか、内面から湧き上がる動機をはっきりさせる。一言で言えば、志を明確にするフェーズに入る。志とは非常に曖昧な概念だが、志の源泉について、「成功―失敗」、「自分―他人」という2軸でマトリクスを作ると、志の4パターンを整理することができると考える。

1つ目の志は、「自分の成功」と同じ成功を世の他の人にも味わってもらいたいというものである。これを「共有」と呼ぶ。2つ目は、「他人の成功」に惹かれ、それを別の人にも経験してもらいたいというものである。これを「憧れ」と呼ぶ。3つ目は、「自分の失敗」と同じ失敗を他人に経験してほしくないと願い、防衛策を展開するというものである。これを「教訓」と呼ぶ。4つ目は、「他人の失敗」に同情し、同じ失敗をしている別の人を救済したいというものである。これを「共感」と呼ぶ。

例えば、企業経営に成功した人がそのノウハウの普及を目指すのは「共有」である。外国でよく売れている製品のよさを日本人にも体感してほしいとビジネスを始めるのは「憧れ」である。離婚を経験した人が自らの経験を踏まえて円満な夫婦生活に関するアドバイスを行うのは「教訓」である。生活困窮者に生活改善や職業訓練を施し、自立を支援するのは「共感」である。もちろん、4種類の志を全て持っていなければならないというわけではない。どれか1つか2つのタイプに属する志があれば十分である。

私の場合、真っ先に思いついたのは「50人ぐらいの中小企業で、自分と同じような経験をする社員を増やしてはならない」という「教訓」の志であった。さらに言えば、「自分と同じように精神疾患が長引いて、社会復帰が困難になる人を増やしてはならない」という思いも湧き上がってきた。前者についてはこれまでもおぼろげながら抱いていたのだが、最近になってはっきりと形が見えるようになった。これを、今まで私がこだわっていたコンサルティングによってではなく、私が得意とする研修事業を通じて実現することが現在の私の目標である。後者に関しては、前者に関連する社会貢献事業として展開することができないかと検討している。

(5)活動を単純化する

志がはっきりしていないうちは、方向性が曖昧であるから、活動が散漫になりやすい。私が罹患している双極性障害は、必要以上に様々なことへと活動領域を広げたがる傾向がある。30代半ばでコンサルティング能力を(なぜか)政治や経済の知識によって強化しようとしていた頃は、異常なほど読書に燃えていた。一流の学者が年に何百冊も本を読んでいることに憧れ、政治や経済の本は最低限として、宗教、文化、言語学、歴史、哲学なども加えて、私も年間200冊の読書を実践していた時期がある。しかし、今になって振り返ると、考える力を養うことよりも、本を読むこと自体が目的化しており、十分な血肉にならなかった。

仕事の面でも、依頼されるがままに、あらゆる仕事に手を出した。私の場合は、メニューを掲げずに「時価」と書いた看板だけを掲げて商売をしているようなものであった。相手からすると、頼んだ時に何がいくらで出てくるのか解らない。こういうケースでは、相手は「とりあえずお茶ぐらいなら安いだろうし、失敗してもこちらは痛手を被らない」と考えるものである。私は相手の心理に気づかず、安いお茶ばかりを発注されているのに、いろんな仕事が経験できて嬉しいと勘違いし、一人で舞い上がっては他方で多忙さを嘆くありさまであった。

昨年末に入院した時は、さすがにこういう仕事や生活スタイルは見直そうと決意した。志が明確になると、その志を判断基準として、仕事に優先順位をつけることが可能となる。お茶ばかり頼む顧客は、勇気を振り絞って断ることができるようになる。

最初は単価が低い顧客でも、長く付き合ううちに信頼関係が醸成されて、大口顧客へと成長する見込みがないわけではない。そのためには、最初に小口顧客を相当数獲得して、そのうちの一定割合が大口顧客に化けるのを期待すること、さらに、顧客単価が増大するのを促すような長期的に洗練されたビジネスモデルを構築することが不可欠となる。しかし、私が1人で事業を行っている以上、同時に取引できる顧客数にはおのずと限界があるし、まして私にはそんな複雑な利益モデルを考える能力もない。よって、もっとシンプルに研修ビジネスを組み立てることにした。

私生活の面でも大幅な活動の“リストラ”を行った。読書の仕方、お金の使い方、インターネットの使い方、休日のすごし方、その他生活のあらゆる面を検証して、過剰な活動を削った。ここに、新たに(1)で述べた運動の習慣を加えながら、1週間のスケジュールを単純化した。やることがはっきりした上、なぜそれをやるのかも明確になったので、仕事も生活も意義が深まった。

(6)能力を証明する

志に向けて新しい道を歩み始めても、自分は本当にこの道でやって行けるのかと不安に駆られる。味わった挫折が大きければ大きいほど、この不安は大きくなる。不安を和らげるには、早い段階で成功体験を積むに越したことはない。決して大きな成功である必要はない。「よし」と小さく心の中でガッツポーズできるぐらいの成功体験でよい。(2)で自分の能力にフィットした活動領域を選び、(4)で自分の正直な動機に根差した志を設定すれば、小さな成果を上げることはそれほど難しいことではない。

2019年の年明け、退院直後の私は、全く仕事がない状態で東京に帰ってきた。その私に、これからは研修ビジネスの道でやっていく自信を持たせてくれたのは、あるセミナー講師の仕事と、ある研修開発受託案件であった。私は決して話が上手だとは思わないのだが、セミナーでは主催者や受講者から「解りやすかった」、「面白かった」との評価をいただくことができた。研修開発の受託も久しぶりにやったのだが、「考えさせられるケーススタディで非常に役に立った」という声を頂戴した。この研修は超大手企業向けであり、自分の実力がまだこうした企業にも通用するのだと感じることができた。これら2社とは今でもお付き合いが続いている。

(7)支援者を募る

レジリエンスを発揮するプロセスは、決して1人で完遂できるものではない。恥ずかしいと思わずに、周囲の人たちの力を借りるとよい。相談相手としての友人はやはり大事な存在である。2018年末に地元で2か月間入院した際には、限られた面会時間を使って、旧知の友人に色々と相談に乗ってもらった。仕事のことやお金のこと、その他生活上の困りごとも洗いざらい話した。それがいかに私の心を軽くしてくれたかは、どんなに筆を尽くしても足りることがない。

ただ、「本当に困ったら仕事の面で助けてあげる」という友人の申し出だけは、非常にありがたくても受け入れることができなかった。仕事の面で私を救ってくれたのは、もう何年も連絡を取っていなかった前職の先輩であった。入院していた時、私は各方面に仕事の相談をした。この先輩もその1人である。久しぶりの連絡でいきなり重たい相談を持ちかけることを詫びた上で、病気のこと、独立診断士としての仕事が上手く行っていなかったことを正直に伝えた。

実は、入院中には仕事の話はそれほど進展しなかった。先輩から再度連絡があったのは、退院から数か月後であった。その時に紹介されたのが、(6)で述べた研修開発受託案件である。

キャリア開発に関する海外の研究によれば、キャリアチェンジを支援してくれるのは、近い知り合いよりも遠い知り合いの方が効果的だという調査結果がある。私は決して、この先輩から紹介された仕事で仮に失敗しても、先輩との関係がそこで終わるだけだから、友人からの依頼よりも気楽に構えていたというわけではない。ただ、友人に相談する場合に比べて、先輩に相談する場合は、相談したいことの焦点を絞ってシンプルに相談できるという利点があると感じた。

私は20代後半から30代にかけて、これでもかと言わんばかりに様々な危機に襲われた。レジリエンスという言葉を知らなかった頃は、立ち直る術も知らず、やみくもに頑張るしか能がなかった。だが、失敗を重ねるうちに、徐々にレジリエンスの何たるかが体感できるようになった。これこそ、私の30代の最大の収穫かもしれない。40代以降は穏便に暮らしたいと願うものの、おそらく10年に1、2回ぐらいは深刻な問題に直面することだろう。運命を嘆いたり、環境に八つ当たりしたりせず、学習したレジリエンスを高めながら上手に対処したいものである。