【2018年反省会(23)】WAIS-Ⅲ(成人知能検査)の結果の見方について

【2018年反省会(23)】WAIS-Ⅲ(成人知能検査)の結果の見方について
 

(※)今回の記事を執筆するにあたり、LITALICO発達ナビ「WAIS・WISCとは?ウェクスラー式知能検査の特徴、種類、受診方法、活用方法のまとめ」を大いに参考にした。

【2018年反省会】記事一覧(全26回)

主治医は私について「何をやっても上手く行かない人」という印象を抱いたらしい。主治医との面談時間は非常に限られており、私が過去の行き詰まりエピソードしか話さなかったため、主治医がそのようにとらえるのは自然なことである。主治医は、私に双極性障害Ⅱ型という診断名がついていることにもやや懐疑的であった。私の症状は、双極性障害だけでは十分に説明ができないという。この点、2017年夏に入院した病院で、いきなり「双極性障害ではない」と言い切って私を混乱させた医師(以前の記事「双極性障害で入院したところ40日の予定が1週間で退院してしまった事の顛末」を参照)よりも、はるかに高い信頼を寄せることができた。

確かに、双極性障害の代表的な症状の1つである誇大妄想は私にはない。「政治家になる」、「王様になる」などと豪語したことはない。主治医の話では、双極性障害で入院中の患者が「今から金(きん)を輸入してくる」と出かけた例もあったという。入院中に、自分は双極性障害だと言う患者と何度か話す機会があったが、いつも「市議会選挙に出る」、「時給800円でいいから副市長をやる」と言っていた。こういうことを誇大妄想と呼ぶのだろうかと感じた。

私は、2015年から2017年がそうであったように、また今回の入院前に一人で慌てふためいていたように、過活動になることはたまにある。しかし、極端な散財をしたり、人間関係を損なったりするほどに破滅的な行動に出ることはない。ただ人よりイライラする傾向が非常に強いため、双極性障害の症状である易怒性、易刺激性に該当すると判断されて、双極性障害という診断名がついたという経緯がある。しかし、イライラだけであれば、単極性のうつ病でも現れることがある。主治医は私の感情的な性質よりも、私の生き方が不器用である点に注目した。私のように「何をやっても上手く行かない人」は、心理検査をしたら発達障害が判明するケースがあるという。そこで、主治医から勧められるままに心理検査を受けることにした。

後日、臨床心理士が心理検査を実施してくれた。検査に先立って、「『ウェイス』という検査名を聞いたことがありますか?」と尋ねられた。私ははるか昔にロールシャッハ検査や文章完成法などは受けたことがあるものの、「ウェイス」は記憶になかった。ところが、臨床心理士がおもむろに取り出した検査キットを見て、「あぁこれか」と心の中で冷や汗をかいた。というのも、2017年夏に入院した時に、ちょこっとだけ受けた検査であったからだ。

前掲の記事でも書いたように、この時はリーマスを3倍に増やした副作用と、抗うつ病薬を一気に中止したことによる離脱症状のダブルパンチを食らって、ヘロヘロ状態だった。最初は我慢していたが、途中から頭の回転が明らかに鈍くなり、ついには目の前の文字や絵を見るだけで吐き気をもよおすようになった。そこで、検査開始から2時間半ぐらいでギブアップし、残りの検査は後回しにした。帰りの廊下で臨床心理士に何割ぐらい検査が終わったのかと聞いたら、まだ半分弱だと返ってきた。ということは、あと3時間以上かかる可能性がある。私はすっかりうんざりしてしまった。結局、その直後に強引に退院したため、残りの検査は受けていない。

今回も全部で5~6時間かかることを覚悟した。だが、10時~11時半に行われた1回目の検査で、3分の2近くまで終了したと臨床心理士から告げられた。2回目の検査は3日後に実施され、1時間弱で終了した。頭の回転スピードが前回とはまるで違っていたのだろう。

WAISとは”Wechsler Adult Intelligence Scale”の略で、日本では「ウェクスラー成人知能検査」と呼ばれる。主治医からは心理検査と紹介されたが、実際には知能検査である。知能指数(IQ)の算出には2種類あり、「生活年齢と精神年齢の比」を基準とした従来の方式と、「同年齢」を基準とした方式がある。従来方式における精神年齢とは、被験者の知的な能力が、何歳の人の平均と同じかを表したものである。しかし、精神年齢は一定の年齢までは緩やかに伸び、以降はそのレベルにとどまるとされるにもかかわらず、自然なIQを算出するために架空の数値が設定されることがあるという問題があり、現在ではほとんど使われていないらしい。

WAISは同年齢を基準とした方式である。ある年齢の集団を構成する人々のIQは正規分布を描くとの前提に立ち、平均的なIQを100とする。その上で、被験者のIQを標準偏差を用いて算出する。正規分布を用いているから、IQ85~115(1σ)の間に約68%の人が収まり、IQ70~130(2σ)の間に約95%の人が収まる。WAISの最新版は2008年に発表されたWAIS-Ⅳであるが、これはどちらかと言うと子どもの知的発達をより多面的にとらえることを目的としている。精神科で広く用いられているのはWAIS-Ⅲであり、私もWAIS-Ⅲを受検した。

WAIS-Ⅲでは、「全検査IQ(Full-Scale IQ、FSIQ)」、「言語性IQ(Verbal IQ、VIQ)」、「動作性IQ(Performance IQ、PIQ)」を測定する。さらに、言語性IQは「言語理解(Verbal Comprehension Index、VCI)」、「作動記憶(Working Memory Index、WMI)」という群指数から、動作性IQは「知覚統合(Perceptual Organization Index、POI)」、「処理速度(Processing Speed Index、PSI)」という群指数から構成される。WAIS-Ⅲでは全部で14の検査が行われる。以下、検査の全体像とそれぞれの検査の概要である。当然のことながら、事前に回答が解ってしまうと検査が意味をなさないため、問題は一般には公開されていない。

【全検査IQ(FSIQ)】
<①言語性IQ(VIQ)>
①-1.言語理解(VCI)
・単語=日本語の意味を答える。
・類似=2つの単語を聞いて、共通点を答える。
・知識=概ね中学校までで学習する一般教養の問題に回答する。
①-2.作動記憶(WMI)
・算数=概ね小中学生レベルの算数の問題を解く。
・数唱=数字の羅列を記憶して復唱する、あるいは逆読みする。
・語音整列=数字と文字の混合羅列を記憶して復唱する、あるいは逆読みする。
<②動作性IQ(PIQ)>
②-1.知覚統合(POI)
・絵画完成=示された絵に足りていないものを指摘する。
・積木模様=絵で示された模様と同じ模様を積み木で作る。
・行列推理=複数並んだ図からパターンを推理し、最後の空欄に入る図を選ぶ。
②-2.処理速度(PSI)
・符号=数字と図形の対応表を基に、ランダムに並ぶ数字に対応する図形を描く。
・記号探し=左側にある記号と同じ記号を右側の記号グループから探す。

(※)以下の3検査は群指数の算出には用いられない。
・絵画配列=複数のカードを、1つのストーリーになるように並べる。
・理解=社会のルールや常識について、それがなぜ必要なのか口述する。
・組み合わせ=与えられたピースを組み合わせてパズルを完成させる。

WAIS-Ⅲは検査の目的に応じて結果の読み方が変わる。知的障害の有無を調べる場合には全検査IQに着目し、その値が70以下であれば知的障害を疑う。全検査IQの値に応じて4段階の重度が想定されている。発達障害かどうかを見る場合には、全検査IQよりも言語性IQと動作性IQの差、さらには群指数同士の凸凹に目を向ける。ある群指数が100を優に超えているのに、別の群指数が100を大幅に下回るなど、数値の凸凹が大きいと発達障害の可能性がある。単純化の危険を承知の上で例を挙げるならば、処理速度が極端に低いケースではADHD(注意欠陥多動性障害)、作動記憶が極端に低いケースではLD(学習障害)の疑いがある。

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検査から約1か月後に、臨床心理士から検査結果の説明があった。私の場合、言語性IQと動作性IQ、さらに群指数の間に目立った凹凸はなかった。ただ1つだけ、作動記憶のスコアがずば抜けて高かった。臨床心理士が言うには、統計的には、私と同じ年齢で私以上の作業記憶のスコアが出るのは1,000人に4人らしい。作動記憶が突出しているせいで、他が相対的に低く見える。この点を踏まえて、臨床心理士からは以下のフィードバックを受けた。

①言語的、聴覚的記憶と比較すると、視覚情報の記憶が苦手である。すなわち、物と名前、場面と行動など、何かと何かを結びつけてセットで覚えることには不得意さがある。
⇒思い当たる節はいくつかある。まず、私は極度の方向音痴であり、地図を読むことができない。以前、中小企業向け補助金事業の事務局に勤めていた時、補助金の交付を受けた企業を1社ずつ訪問するという仕事があった。私が当時持っていたスマホはまだ地図アプリの機能が十分でなかったため、事務所で地図を印刷して持参した。ところが、地図を読むことができない私はしょっちゅう道に迷い、同行した事務局員を困惑させたことが何度もある。

最近はGPS機能のおかげで随分と楽になった。それでも道をよく間違える。画面上で現在地を示す矢印が下を向いている時、次の交差点のところで右向きに経路が表示されていると、画面の表示通り右に曲がってしまう。さすがに最近は、そういう場合には左に曲がるべきだと学習したものの、現在地の矢印が左右を向いていると頭が混乱する。次の交差点のところで上向きに経路が表示された場合、どちらに曲がればよいのか即座に判断できない。

引っ越したばかりの時は、自宅と駅の間の道を覚えるのに苦労する。2週間ぐらい毎日通ってやっと覚えることができる。道路の名前を覚えるのも苦手で、タクシーに乗った時に運転手から「○○街道を通って国道△△号線に抜ければよいですね?」などと確認されても、道順のイメージが湧かない。だから、タクシーではいつも運転手に全てお任せである。

人と情報を結びつけるのが苦手という点に関しては、小説や映画を理解するのが不得手という事実を挙げることができるだろう。私は、登場人物がたくさん出てくると、その人間関係を把握するのに苦労する。物語の途中である人物が何らかの言動を取った時、なぜこの人はこんな言動を取ったのか、それ以前の物語の内容と結びつけて理解することが難しい。小説であれば読み返すことができるが、映画はDVDを巻き戻すのが面倒くさい。まして映画館で映画を観た時には巻き戻しが不可能だから、観ていてもあまり面白くない。

こうしたことは、日常生活に大きな悪影響を及ぼさないから、個人的にはあまり気にしていない。ただし、物と情報を結びつけるのが苦手だと指摘されると、私はIoTのコンサルティングなどができないのではないかと不安になってしまう。

②部分要素に区別して、それらを順序よく着実に理解することは得意である。逆に、今ある断片的な情報から全体の流れをとらえ、先の見通しを立てることはやや苦手である。
⇒旧ブログの記事「マネジメントとリーダーシップの違いを自分なりにまとめてみた」で、「マネジメントは演繹的、リーダーシップは帰納的」と書いたことがある(「マネジメントは全体から部分へ、リーダーシップは部分から全体へ」と書いたこともある)。それから何年も経って、現行ブログの記事「『正論』2018年2月号『本誌に突きつけられた朝日新聞”抗議書”に言論で答える/ワシントンを火の海にする狂気』―「朝日新聞に社是はない」で笑ってしまった」では、「マネジメントは帰納的、リーダーシップは演繹的」と正反対のことを書いた。

この矛盾については補足しなければならない。マネジメントとは、既存の産業の枠組みの中で、市場シェアを高め、業績を改善する取り組みを意味する。私の理解では、マネジメントとマーケティングはほぼ同義である。ピーター・ドラッカーがまとめたように、マネジメントには原理原則がある。その原理原則に従って経営を行えば、その行為は演繹的だと言える。

しかし他方で、ドラッカーは原理原則を示したにすぎない。最低限押さえるべきポイントを明らかにしただけで、それを実際にどのように運用するかは、それぞれの企業が個別特有の事実を1つずつ丹念に幅広く拾い上げ、いかにして独自のマネジメント理論を構築するかにかかっている。つまり、「弱い演繹⇒強い帰納⇒独自の演繹」という流れになる。普遍的なルールを出発点とする「演繹」という言葉に「独自の」とつけるのは不適切であるが、今のところ他に適当な言葉が思い浮かばないため、ひとまずこの表現にしておく。

これに対して、リーダーシップとは、既存の産業の枠組みを破壊する、あるいは全く新しい産業を創造することを指す。言い換えればイノベーションである。前者の典型がAmazonであり、後者の典型がAppleである。Appleのような企業が出てくると、従来の産業から既存顧客が大量に流出することがある。新産業の創造と既存産業の枠組みの崩壊は、往々にして同時に進行する。iPhoneの登場によって、据え置きゲーム機、新聞、雑誌、書籍、PCなど、壊滅的な被害を被った市場は枚挙にいとまがない。リーダーやイノベーターが思いつく革新的なアイデアは、彼らが観察した断片的な事実や、既存の知識の組み合わせに基づくことが多い。その限定的な情報から、世界に通用する製品・サービスを一足飛びに構想する。

こうした推論のことをアブダクションと呼ぶ。そして、リーダーやイノベーターは、自分が考案した製品・サービスを全世界に普及させるというゴールを掲げ、ゴールから逆算して戦略を構築する。その戦略は詳細なスケジュールに落とし込まれ、マイルストーンにはKPIが設定される。基本的に、リーダーやイノベーターは自分が立てた”世界制覇”の道筋にこだわるが、実際問題としては必ずしもそれを貫き通せるとは限らない。そこで、各国の情報を収集し、必要に応じて道筋を修正する柔軟さはある程度持ち合わせている。これを先ほどのマネジメントの流れと対比させるならば、「弱い帰納⇒強い演繹⇒弱い帰納」という流れになるだろう。

私の検査結果を踏まえると、私はマネジメントやマーケティングは得意である反面、リーダーシップやイノベーションは苦手ということになる。非常に単純化すれば、マネジメントやマーケティングは左脳系、リーダーシップやイノベーションは右脳系の活動であり、典型的な左脳人間である私は右脳系の活動が不得手である。実際、直観的に新しいアイデアが浮かぶことはほとんどない。私のブログをじっくり読んでいただくとお解りになるように、私の文章は過去の偉人の膨大なアイデアに乗っかっている(Standing on the Shoulders of Giants)だけである。

私がドラッカーに惹かれるのも、検査結果を読めば納得できる。「マネジメントの発明者」と呼ばれるドラッカーは、リーダーシップやイノベーションにも多数言及している。しかし、私は以前に「【ドラッカー書評(再)】『経営者の条件』―組織を、世界を変えていく能動的なエグゼクティブ像にはあまり触れられずとの印象」という記事を書いたことがある。また、ドラッカーの有名な「7つの機会論」も、変化を自ら生み出すよりも、外部環境の変化(ドラッカーは「既に起こった未来」という言葉を好んだ)を活かしてイノベーションを起こすという内容である。

もちろん、ドラッカーも創造的・革新的なアイデアの重要性は十分に認識していた。他方で、アイデアの源泉は天賦の才能であり、それを文章で記述することは無理だとも述べていた。だから、イノベーションを語るにしても、7つの機会論のように比較的構造化された形でしか提示することができなかったのだろうと思う。そして、ある程度の構造を持った時点で「弱い演繹」であり、リーダーシップというよりもマネジメントに近くなる。だから、私にとっては受け入れやすい。今回の検査結果を受けて、私はマネジメントのコンサルティングをするべきであり、リーダーシップのコンサルティングには安易に手を出さない方がよいと認識した。

余談だが、私は音楽が好きだ。中学時代にバンドを結成して、今でも細々と活動を続けている。最近は機会が減ってしまったものの、昔は私が作詞を担当していた。詞を書くという創造的な行為を、私は左脳で行う。メロディーに乗る言葉を直観的に選択するのではなく、限られた音の数にできるだけたくさんの意味を込められるような単語を吟味し、かつそれらの単語を並べた時に自然に意味が通るように構成を何度も練り直す。こういうやり方なので、(私と比較するのはあまりにも失礼だが、)私にはスピッツのような叙情的な詞を書くことができない。

バンドで歌う時も、カラオケで歌う時も、私は左脳で歌っていると思うことがよくある。「このコード進行で今この音だから次に来る音はこの音だろう」、「この歌手のメロディー構成の特徴を踏まえると次のメロディーはこうなるだろう」、「曲の世界観や盛り上がりを踏まえて、同じ曲の中でビブラートを効かせる部分と効かせない部分を作ろう/言葉の発音の仕方を変えよう/メロディーを若干崩して歌う部分とテンポ通りに歌う部分を分けよう」などと色々考えている。そんなに考えながら歌って楽しいのかと言われそうだが、当の本人は楽しいのである。

③視覚刺激を提示された時に、それが曖昧であったり情報が不十分であったりすると、その対象を的確に区別することや、細部の違いに気づくことが困難である。直観的に回答した時は概ね正しいが、難しい場面において試行錯誤を通じ大幅な方略変更を行うことが苦手であり、一度判断に困るとその場を切り抜けるのが容易でなくなる。
⇒私にとって最も痛かったのはこの指摘である。大幅な方略変更を行うのが苦手というのは、コンサルタントとしては致命的であるかもしれない。まして、経営者には絶対に向いていないと感じた。視覚刺激を提示された時に限らず、私は普段から考える時間が長い傾向がある。検査中も、延々と考え込んでいた問題が何問もあった。

以前の記事「【2018年反省会(21)】「それって必要ですか?」とすぐに聞く社会では教育も子育ても天皇制の維持も無理」で、「頭がよい―悪い」、「頭が強い―弱い」というマトリクスを提示した。私は一応一般の人よりもたくさん勉強し、覚えきれないほどの知識を持っていると思う。ただ、覚えきれないために「頭がよい」から「頭が悪い」に転落している。「頭が悪い」状態に転落すると、基本的なことが解らなくなってしまうということは、以前の記事で述べた。

経営者に向いていない自分がこんなことを言うのは完全に負け犬の遠吠えだが、単に事業を成功させるだけであれば、成功者のアドバイスや失敗者の体験談を聞いたり、世の中にあまた出回っているビジネス本を読んだりすることで、ある程度目的を達成できるように感じる。だが、私はそれでは満足しない、というかなぜそれで成功できるのかが腹落ちしない。そのため、以前の記事「メラニー・フェネル『自信をもてないあなたへ―自分でできる認知行動療法』―私自身の「最終結論」を修正してみた」で書いたように、日本の歴史的・伝統的な精神や文化、価値観にまで遡って経営の本質をつかもうという大層なことを考え出したりする。

私が個人的にこのブログの中で考えている限りにおいては、どれほど時間をかけても問題はない。しかし、私は一応個人事業主であり、経営者に向いていないとしても経営をしなければならない。そして、事業の成否がそのまま自分の生活に直結する。どんな企業でもそうだが、案件が持ち込まれる時というのは、極めてファジーな状態でやって来る。この点で、視覚刺激が曖昧であることと共通する。曖昧な状態のものがその先どうなるのか見通しを立てて、案件を引き受けるか否かを決断しなければならない。仮に引き受けた後に危険を察知したのであれば、作戦を大幅に変更するか、潔くかつ上手に撤退する必要がある。

私はこうした能力が決定的に欠けているため、危険な案件に身を投じてしまい、そのまま抜け出せなくなって痛い目に遭うことを繰り返してきたのだろう。とはいえ、今すぐに直観力を磨いて将来の予測ができるようにしようというのは無理な話である。だから、臨床心理士からのアドバイスは至ってシンプルであった。「第三者に意見を求める」ということである。

「頭がよい―悪い」、「頭が強い―弱い」マトリクスに戻ると、頭がよくてかつ頭が強い人がごく稀にいる。私の周りにも何人か思い当たる人がいる。彼らからは、仕事の進め方に関する実務的なアドバイスをいただきたい。また、(語弊があるが)頭はそこまでよいとは限らないものの、頭が非常に強い人もいる。こういう人は、人生をしたたかに生きる知恵をたくさん持っている(島田洋七が作り出した「佐賀のがばいばあちゃん」というキャラクターは、まさにこの例だろう)。彼らからは、勇気と気概をいただきたい。今回の心理検査の最大の収穫は、当たり前すぎるのに自分で実践できていなかった事実をまざまざと突きつけられたことに尽きる。

個人的に、WAIS-Ⅲで測定されたIQの数値自体には、それほど価値はないと思っている。まず、14の検査が知能を構成する全てではない。また、言語性IQは言語理解と作動記憶の、動作性IQは知覚統合と処理速度の単純な平均になっていないし、全検査IQも言語性IQと動作性IQの単純な平均ではない(実際、私の結果も単純な平均になっていない)。どのようなロジックでそれぞれのIQが算出されているのかは解らない。さらに、群指数の算出には用いられないが言語性IQと動作性IQの算出には用いられるという3つの検査(絵画配列、理解、組み合わせ)が、両IQと全体性IQにどのように影響しているのかも全くもって不明である。

問題構成にも若干の恣意性を感じる。WAISは全世界で通用する検査ということになっている。つまり、WAISで算出されるIQは、「日本で私と同年齢の人の平均的なIQを100とした場合の私のIQ」ではなく、「世界で私と同年齢の人の平均的なIQを100とした場合の私のIQ」である。ということは、本来であれば、問題は全世界共通でなければならない。「図形」や「算数」の問題は世界で統一することが可能だ。しかし、言葉の意味を問う「単語」や一般教養を尋ねる「知識」の問題は、世界各国で同じにすることができない。「知識」では、例えば「江戸幕府を開いたのは誰か?」といった問題が出る。この問題と同じ難易度の問題をイタリアで出すならばどんな問題になるのか、世界中の見解が1つに収斂することはおそらくないだろう。

知能検査と言うからには、学校の試験のように客観性があるのかと思いきや、実は検査全体に渡って臨床心理士の主観が入り込む余地がたくさんある。他の人がWAIS-Ⅲを受検した時の感想をスマホで読んでいたら、問題に制限時間を設けるかどうかは、臨床心理士によって異なるらしい。私の場合は制限時間がなかった。制限時間を超えて考え続けた結果、正解にたどり着いたものもあれば、そうでないものもあったと教えてもらった。仮に制限時間が設けられていたら、私の正答率が下がり、それぞれのIQも変化したかもしれない。

臨床心理士は、正誤を確認するだけでなく、被験者が回答するまでの態度やプロセスも観察している。例えば、絵画配列の問題では、カードを途中であれこれと並び変える様子を観察している。私は、聴覚的記憶を問う問題では目を閉じて額に拳を当て、うつむきながら回答していたのに対し、視覚刺激に関する問題ではぶつぶつと独り言を言っていた。おそらく、その様子も観察していたに違いない。観察から何を読み取るかは臨床心理士次第である。

「単語」の問題には、明確な正解はない。辞書通りに答えられれば正解であるとは限らない。被験者が回答した内容のうち、どこまでが正解で、どこからが誤りなのかを判断するのは、臨床心理士の仕事である。また、単語の問題以外にも、被験者の回答が短かったり抽象的であったりする場合には、臨床心理士が「もう少し具体的に言うとどういうことですか?」と尋ねることがある。どういう時に追加の質問をするのか、ある程度のガイドラインは存在するのだろうが、実際にその質問をするかどうかは臨床心理士のその時の判断による。

検査が終了すると、臨床心理士は被験者が発した様々な情報を持ち帰り、それらを総合に分析してIQを算出する。だが、客観的な正誤だけでなく、臨床心理士の主観が随所に混じっている以上、導かれるIQは完全に客観的であるとは言いがたい。

個々のIQの値は厳密ではない。だから、全検査IQが70以下であるからと言って、ただちに知的障害があるとは診断できない。発達障害に関しても同様で、あるIQが一定の値以上/以下だから発達障害であるとは言い切れない。だが、それぞれのIQの凹凸から大まかな傾向をつかむのには確かに役立つと思う。主観が混じることによって、個々のIQが全体的に上振れ、または下振れすることはあっても、凸凹の形はあまり変わらないであろう(もちろん、あるIQは上振れし、別のIQは下振れするように主観が働く可能性を否定することはできないが)。

私もコンサルティングの一環で、組織風土診断を行うことがある。各部門の業績を目的変数とし、役割意識、仕事のやりがい、チームワーク、人間関係、上司への信頼、教育訓練の機会、人事評価への納得度など、組織風土を構成する因子を説明変数として、業績の高い部門と低い部門ではどんな違いがあるかを分析する。社員は皆自分の主観で回答するから、個々の因子のスコア自体には意味がない。意味があるのは、因子同士の凸凹である。

「御社ではどの部門も人事評価への納得度はそれほど高くない。しかし、高業績部門では上司への信頼や人間関係のスコアが高く、低業績部門ではそれらのスコアが低いことから、御社は社員同士の心理的な関係が重視されている。よって、何かインフォーマルなコミュニケーションを促進する施策(例えば、面談結果を人事部に報告する必要のないメンタリングなど)を導入すると業績が改善する可能性がある」といった報告をする。

学術的な研究においては、重回帰分析など統計的な手法を駆使して、例えば「業績に対する人事評価への納得度の寄与率は0.42である」とか、「チームワークのスコアが0.5ポイント改善すると、業績が1%向上する」などといった結果を導くことになるだろう。もちろん、この手の研究は極めて重要である。統計的な研究を数多く重ねていくと、後に誰か別の研究者が文献レビューを行った際に、より精度の高い知見が得られるようになる。

ただ、「業績に対する人事評価への納得度の寄与率は0.42である」、「チームワークのスコアが0.5ポイント改善すると、業績が1%向上する」などといった特定の研究結果ばかりを見て、その通りの組織を構築しようとするとおかしなことになる。

「人事評価への納得度の寄与率がちょうど0.42となる人事制度とは具体的にどのような仕組みなのか?(やりすぎると無駄になるし、足りないと業績が下がる)」、「チームワークのスコアを0.5ポイント改善するには、協業の機会をどの程度増やせばよいのか、それとも単にコミュニケーションの量を増やせよいのか、あるいはコミュニケーションの質を上げるべきなのか、この場合の”質”とは何なのか?」といった不毛な議論に突入してしまう。これらの問いは一般論として議論することはできない。実務的には、個別の企業の他のスコアと比較しながら、その企業の特殊性・固有性を踏まえて打ち手を導出する方が、関係者は納得しやすい。

フィードバックを受けてから、WAIS-Ⅲの結果の見方をスマホで調べてみた。すると、発達障害の可能性があると言われた人がWAIS-Ⅲを受検して、その結果を公表しているページをいくつか見つけた。前述のように、発達障害の可能性を検査する場合には、個々のIQの凸凹に注目する。私はそれぞれのIQの値自体には意味がなく、特に全体性IQは人並み以上であれば無視してよいと考えている。だから、今回の記事では私の数値を載せていない。

私が検索上位から順に10ページほど読んだところ、ほとんど「自分の全体性IQは○○だった」という報告からスタートしていた。そして、そのIQは非常に高い。140超の人もいた。正規分布からは外れてしまう異常値である。数値の厳密性はともかく、そのくらい高いIQがあれば、発達障害か否かを見る上で全体性IQはさほど重要ではないことに気づくのではないかと不思議に感じた。中には、IQをめぐる学術的な研究の変遷を滔々と記述しているページもあった。自分がどんなタイプの発達障害なのかを把握し、日常生活で注意すべき点や周囲の人に配慮してもらいたいことを明らかにするという、WAIS-Ⅲの本来の活用方法から離れているようであった。読む人によっては、単なるIQ自慢だと受け止める人がいるかもしれない。

【2018年反省会】記事一覧(全26回)