【ベンチャー失敗事例(1)】はじめに~経営理念が腹落ちしていなかった【Shared Value】
- 2020.03.02
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(※)本シリーズは、2013~2014年に前ブログで「ベンチャー失敗の教訓」シリーズ(全50回)として執筆したものを、「マッキンゼーの7S」フレームワークの視点を利用して全7回にまとめ直したものです。
目次【ベンチャー失敗の教訓(全50回)】記事一覧 : free to write WHATEVER I like
【第0回】はじめに 【第1回】経営ビジョンのない思い入れなき経営 【第2回】営業活動をしない社長 【第3回】製品開発・生産をしない社長 【第4回】何にでも手を出して、結局何もモノにできない社長 【第5回】とにかく形から入ろうとする社長 【第6回】リスク
私が独立前の2006年3月から2011年6月まで勤めていた企業はベンチャー企業であったが、早い段階からグループ経営を行っていた。グループは以下の3社で構成されていた。
X社(A社長)・・・企業向け集合研修・診断サービス、組織・人材開発コンサルティング
Y社(B社長)・・・人材紹介、ヘッドハンティング事業
Z社(C社長)・・・戦略コンサルティング
(※連載では、企業名および社長の名前について、上記の仮称を用いることとする)
私が所属していたのはX社である。最も社員数が多い頃には、3社合計で50名を超えていた。しかし、私がX社を退職した時には、Y社が姿を消し、残り2社でわずか10人あまりという寂しい体制になっていた。3年半の間にリストラされた社員が約3割、自発的に辞めた人が約5割。自発的に辞めた社員の中には、黙って”逃亡した”(ある日突然出社しなくなって音信不通になった)人が2人含まれている。こういう逃走劇は東南アジアの工場で起きるものだと思っていたが、日本国内でいい大人が引き起こしたのにはさすがに驚かされた。
3社の経営陣は、大手コンサルティングファームでそれなりの地位まで上り詰めた人たちによって構成されていた。社員にも大手コンサルティングファームや大企業で実績を上げてきた人が大勢いた。にもかかわらず、どうしてこんなにも経営が迷走し、業績不振に陥ってしまったのか?この連載は、在籍5年半の経験から私なりに教訓を導き出したものである。
失敗を告白することは、私自身の経営コンサルタントとしてのキャリアにとってマイナスになるかもしれない。 「自社をコンサルティングできない者に、他社のコンサルティングなどできるのか?」と思われる方もいらっしゃるだろう。そういう厳しい声は甘んじて受ける。当時の私はあまりにも実力不足であった。だが、私の信用が失われることよりも、私が提示する教訓によって、似たような失敗で経営難に陥る中小企業・ベンチャー企業が少しでも減ることの方が社会的意義は大きいに違いない。私がこのHPで「社員50人の壁を超える」と掲げているのは、私と同じ轍を踏まずに成長曲線に乗ることができる企業を増やしたいという願いを込めてのことである。
経営ビジョンとは、自社が将来的にどのような事業活動を展開し、顧客にどんな生活を送ってほしいのか?さらに、いかなる社会の実現を願っているのか?という問いに答える構想である。X社、Y社、Z社いずれの経営陣も、残念ながら明確な経営ビジョンを持っていなかった。私が転職活動をしていた時、最終面接でX社のA社長と面談する機会を得たのだが、私はA社長に「3年後に御社はどうなっていたいとお考えですか?」と質問した。どういう経営ビジョンを持っているのかを確認するのが狙いであった。しかし、A社長の回答は、「3年後にどうなっていたい、というものは特にない」というあっけないものであった。
X社は当時、創業して3年ほどの会社であったから、私は逆に、「この3年間でどのような成果がありましたか?」と過去のことを尋ねた。3年間の成果の中身から、X社が一体どういう企業で、今後どのような方向に動く可能性があるのかを間接的に知ることができると考えたからだ。しかしここでもA社長からは、「とりあえず3年間で、やっと会社らしくなった、ということぐらい」という、何とも歯切れの悪い答えしか聞くことができなかった。
賢い転職者ならば、A社長との面談の内容から、「この会社は危ない」と感じて内定を辞退していたかもしれない。しかし、私は新卒入社で入った企業をわずか1年あまりで辞めた後、すぐに転職せずに中小企業診断士の勉強をしていた関係で、8か月ほどのブランクがあった。このブランクが不利に働いて転職活動で苦戦していたこともあり、私は目先の内定確保に走ってしまった。
私がX社に入社した後も、経営ビジョンが不明確であることがたびたび問題視された。A社長も現場からの突き上げに渋々応じるような形で経営ビジョンを考えるのだが、「日本のGDP成長率は労働力人口の伸び率と相関関係にある」とか、「グローバル経済において知識経済化が進んでいる」とか、「中国・インドの台頭で日本の経済的地位は低下する」といった、マクロ環境の話ばかりを振りかざしていた。そして、コンサルティングファームの出身者らしく、きれいなパワーポイントの資料を作って満足してしまっていた。社員が知りたかったのは、そんな大上段に構えた話(しかも、インターネットでちょっと調べれば誰にでも解るような情報)ではなく、「結局、我が社は何をしたいのか?」という意思の話であった。
こうした事態を見かねたのか、Z社のC社長主導で、3社の経営ビジョン作成を外部のコンサルタントに依頼したことがあった。コンサルティングファーム出身の人間が、自社の経営ビジョンすら作れないということ自体おかしな話である。C社長はこのプロジェクトに一千万円に近い投資したと言われる。当時の3社の合計売上が2億円台だったことを考えると、非常に高額な投資であった。しかし、これだけの投資にもかかわらず、でき上がった成果物はパワーポイント3枚にすぎない。つまり、3社の経営ビジョンの文言が1枚ずつまとめられただけだった。
もっとも、経営ビジョンは簡潔であることに越したことはないから、枚数の多寡はこの場合あまり問題ではない。より問題なのは、3人の社長が3枚のスライドに書かれた文言を自分のものにできていなかったことである。このコンサルティングプロジェクトが終わった後、経営陣と社員との間で新しい経営ビジョンを共有するためのワークショップが何回か開かれた。だが、悲しいかなA社長はX社の経営ビジョンを上手く説明できなかった。それどころか、「これを読んでどう思うか?」とばかり聞いてきた。社長が理解できていないことを、社員の口から説明させようというのは無茶な注文である。ワークショップはすぐに形骸化した。
コンサルティングファーム出身のA社長は、「コンサルティング会社から納品されたアウトプットには、むやみやたらに手を加えてはならない」と考えていた節があるように思える。A社長が所属していたコンサルティングファームは、精緻なロジックに基づくきめ細かいパワーポイントの報告書を作成することで有名であった。X社にはA社長以外にもこのコンサルティングファーム出身者が多数在籍しており、私もおのずとそのコンサルティングファームの仕事の流儀を目の当たりすることになったのだが、彼らは自分たちが作成する報告書にクライアント側から手を加えられることを極端に恐れていた。もちろん、微修正程度であれば許容範囲であるものの、解釈が大幅に変わるほどのストーリー変更は滅多に受け付けようとしなかった。
A社長は、自分がされると嫌なことを、自分が依頼した経営ビジョン策定コンサルティング会社にも適用したのかもしれない。X社のビジョンはスライド1枚にまとめられていたにすぎないから、少しでも文言をいじれば解釈が変わってしまう恐れが高かった。だから、いっそのこと「何もしない」という選択をしたのかもしれない。そう考えれば、「これを読んでどう思うか?」などと思考停止に陥った理由もかろうじて理解できる。
経営ビジョンが明確でないことに対する社員の不満が相変わらずくすぶっていた頃、ある若手スタッフが「まずはそれぞれの社員が仕事に対して抱いている個人的なビジョンを共有しよう」と提案したことがある。会社主導でビジョンを作成することが難しいのであれば、個々のビジョンを擦り合わせて会社全体の経営ビジョンを作り上げようという算段であった。オフィスには大きなホワイトボードが用意され、社員が自分のビジョンを書き込んでいった。
そして、3社の経営陣も自分のビジョンを書いた。Z社のC社長は、「生涯で1,000億円寄付する」というビジョンを掲げた。社会貢献への意欲を示すビジョンであるが、「売上高1,000億円を目指す」というビジョンがあまり中身を伴っていないのと同様に、私はC社長のビジョンも金銭的で野暮なビジョンであると感じた。
端的に言えば、C社長のビジョンは「夢」や「希望」であって、「志」ではない。夢や希望は往々にして利己的に陥る。大きな目標に至る道のりには必ず1つや2つの大きな苦難が待ち受けているものだが、利己的な夢や希望にしがみつく人は、苦境に陥るとその利己性を先鋭化させ、他人の力を遠ざけてしまい、結果的に目標を達成できない。これに対して、志がある人はどこまで利他的である。どんなに難儀な状況に陥っても、他者に対して忠実な姿勢を崩さない。すると、周囲の人が救いの手を差し伸べてくれるようになる。目標はその人が手繰り寄せるのではなく、向こうからやって来る。おそらくC社長はこのことを解っていなかったであろう。
企業活動を律するためには、経営ビジョンだけでは不十分である。理想とする未来像を実現するために自社が従うべき行動規範を持たなければならない。むしろ、行動規範の方が重要である。行動規範に従わずに実現された経営ビジョンは無効であると言い切ってもよい。経営ビジョンは主観的なものであるから、外部環境の変化や時間の経過に伴って変化することがある。一方、行動規範は企業活動の基本的な倫理を示すものであり、そうそう簡単に変わることがない。別の言い方をすれば、企業というアーキテクチャーにとって、行動規範は設計思想に該当する。設計思想はアーキテクチャーを隅々まで支配する。ジム・コリンズは、著書『ビジョナリー・カンパニー―時代を超える生存の原則』(日経BP出版センター、1995年)の中で次のように述べている。
すばらしい意図を持ち、気持ちを奮い立たせるようなビジョンを持っているが、その意図を活かす具体的な仕組みをつくるという不可欠な手段をとっていない組織が少なくない。もっと悪いのは、組織の特徴や戦略や戦術が、すばらしい意図と矛盾していても、目をつぶってしまうことであり、こうなると、混乱が起こり、冷ややかな見方が広がる。時を刻む時計の歯車や仕組みは、反発し合うのではなく、調和し、協調し合って、基本理念を維持し、進歩を促す。ビジョナリー・カンパニーの建築家は、戦略、戦術、組織体系、構造、報酬制度、オフィス・レイアウト、職務計画など、企業の動きのすべてに一貫性を持たせようと努力している。
X社、Y社、Z社には共通の行動規範が存在した。3社が入っていたオフィスには、至るところに5つの行動規範が書かれた額縁が飾られていた。
・勇気を出して未知の領域に飛び込む
・決意を持って独自の価値を創りだす
・多様性の中で志を相互に尊重する
・内外の知を結集して最高を目指す
・体現主義を貫くことで深い信頼を築く
どれももっともな内容であり、ベンチャー企業らしい規範である。だが、3社の社長がこの言葉の意味を深く理解し、実践しようとしていたかどうかは不明である。厄介なことに、表面上は行動規範を実践できているようでありながら、実際には成果につながらないケースが多かった。
「勇気を出して未知の領域に飛び込む」、「決意を持って独自の価値を創りだす」に関して言えば、Z社のC社長はとにかく新しいもの、流行りもの好きで、社員は辟易としていた。手を出した分野の名前を挙げると、介護ビジネス、飲食業、サービスマネジメント、デザインコンサルティング、Webマーケティング、農業コンサルティングなどきりがない。これだけを見れば、勇気と決意を持って未知の領域に進出しているかもしれない。
X社のA社長も、C社長ほどではないが似たようなところがあった。女性のキャリア開発が話題になると女性向けのキャリア開発研修やメンタリング研修を、企業内のうつ病社員の増加が話題になるとメンタルヘルスマネジメント研修を、IBMや日産に倣ったダイバーシティマネジメントが話題になるとダイバーシティ研修を、ミドルマネジャーのリーダーシップ不足が話題になるとリーダー育成研修を、リーマンショック以降売上を短期的に回復させるために営業力強化に乗り出す企業が多くなると営業力強化研修をやる、といったありさまであった。
だが、具体的にどの市場をターゲットとするのか?そのターゲットにはどうやってアプローチするのか?サービス提供のオペレーションはどうするのか?自社の資産のうち何を強みの源泉とするのか?足りない資源はどこからどうやって獲得するのか?などといった戦略上の問いに答えないままであった。「巷で流行っていて、何となく儲かりそうだから」という淡い期待だけでベンチャー企業の希少な人的資源をつぎ込むのは、勇気ではなくただの無鉄砲である。コンサルティングファーム出身の両社長ならば、なおさらその点をよく自覚していなければならなかったはずだ。戦う武器を持たずに戦場へ出る勇気が称えられるのは、映画とRPGの世界の中だけである。
「多様性の中で志を相互に尊重する」については、社員の顔触れを見ると確かにバックグラウンドは多様だった。コンサルファーム出身者以外にも、ITベンダー、保険会社、住宅メーカー、金融、教育など様々な業界から、いろいろな職種の人たちが集まっていた。ところが、とりあえず何でもいいからいろんなものを混ぜておけば何か起きるだろうという、さながら無から有を生み出す錬金術師のような願望にとどまっていたのが実態である。
逆説的だが、多様性を活かすためには、確固たる基準・標準が先立つものとして存在しなければならない。西欧諸国が多様性の受け入れに前向きなのは、自由・平等という普遍的価値観が基盤として横たわっているからである。3社の社員は、「多様性の中で志を相互に尊重する」という行動規範がありながら、A社長・C社長の出身母体であるコンサルティングファームのやり方がいつの間にか後出しで適用される状況に幾度となく苦労した。
「内外の知を結集して最高を目指す」に関しても、C社長の人脈のおかげか、外部の力だけは異常なほど充実していた。グループ全体の社員数が最大で50人ちょっとだったのに、顧問だけでも最高で6人いた時期がある。事業会社で製品デザインに長年携わってきた方、事業再生のプロフェッショナルなど、3社に似つかわしくないほど素晴らしい経歴をお持ちの方ばかりであった。一方で、C社長は内部の知を高めようとする努力、つまり社員の人材育成を怠っていたため、優秀な外部の知とうまくかみ合わなかった。
ある時私はC社長に、「C社長の前職のコンサルティングファームが創業間もない頃、若手社員の育成はどうしていたのですか?」と尋ねた。するとC社長は、「狭いスタッフルームがあって、仕事がない連中はそこに大量に閉じ込められていた。それに耐えられなくなった人は皆辞めていった」と答えた。C社長の頭の中には、人材は育成するものという発想がないのであろう。当たりくじが出るまでくじを引き続ければよいと考えていたようであった。
「体現主義を貫くことで深い信頼を築く」に関しては、人材育成をサービスの軸に据え、顧客企業に対しては「研修をしましょう」、「人事評価制度を変えましょう」と提案しているグループでありながら、内部では社員向けの教育も人事評価もほとんど実施されていなかった(詳細は、「【ベンチャー失敗事例(5)】「人材はHire and Fireだ」という幻想【Staff】」に譲る)。
【ベンチャー失敗事例(5)】「人材はHire and Fireだ」という幻想【Staff】
営業力不足が課題だと感じたX社のA社長は、世界的に有名なあるデータベースを開発・販売するIT企業から法人営業担当者を2人引き抜いてきた。2人とも前職では高業績を上げて多額のコミッションをもらっていたというので、A社長も大いに期待していた。ところが、X社に入社後の2人の業績は鳴かず飛ばずであった。 …
たいていの行動規範は、言葉だけを眺めると抽象的であり、当然のことしか言っていないものである。問題は、その行動規範を現実の様々な意思決定の局面でどのように解釈し、適用するかである。我々にとって「勇気」、「決意」とはどんな心構えや行動を意味するのか?「未知の領域」とはどんな領域を指すのか?「独自の価値」とは何か?「多様性」とは何がどの程度多様である状態のことなのか?「志を相互に尊重する」とは具体的にどんな言動を指すのか?結集させるべき「内外の知」とは何なのか?「体現主義」とは何を体現するのか?「深い信頼」は誰との間にどうやって構築するのか?こうした問いを経営陣が自らと社員に投げかけ、答えを洗練させていく不断の努力があってこそ、初めて行動規範は本物となる。
この点で、行動規範は憲法と非常によく似ている。憲法の条文はどれをとっても普通である。だが、憲法が本当に生きたものになるかどうかは、重層的な解釈に依拠している。リッツ・カールトンには、「お客様への心のこもったおもてなしと快適さを提供することをもっとも大切な使命とこころえています」という有名なクレドがあり、クレドを下支えする12のサービスバリューが定められている。リッツ・カールトンとて、特別なことは何も言っていない。リッツ・カールトンが卓越しているのは、例えばリッツ・カールトンが実現すべき「おもてなし」、「快適さ」とは何かについて、全社員を巻き込んで徹底的に議論し、実践に落とし込んでいる点である。
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