【ベンチャー失敗事例(6)】仕事の生産性に対する意識の欠如【Style】
- 2020.03.19
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設立間もないベンチャー企業では、業歴が長い製造業のような作業標準が確立されているわけではない。まして、3社のように非反復性の高いサービスや業務を行っている場合には、定型的な業務を規定することは困難である。とはいえ、社員の好きなように仕事をやらせると、いきおい仕事量ばかりが増えて業務コストがかさむ傾向がある。
非反復的な業務であっても、ある程度タイプ別に分類することは可能である。そして、それぞれのタイプについて、何時間から何時間までの間に収めるのか、範囲を設定する(時間単位での範囲設定が難しい場合は、何日から何日までという大まかな設定でも構わない)。社員は自分の仕事がその範囲内に収まるように手順を設計し、生産性を上げる努力を重ねることが重要となる。
私は現在、X社での経験を活かしながら研修サービスを開発・提供しているのだが、研修で実施する演習問題やワークショップにはいくつかのタイプがあることが解っている。
・純粋な知識を問う個人用の演習問題。
・個人の経験を内省し、グループ内で共有するワークショップ。
・スクリプトを用いるロールプレイング。
・講義内容をインプットとして、受講者が現場で抱える課題の解決を目指すワークショップ。
・ケーススタディ、事例研究。
そして、それぞれのタイプについて、難易度に応じてどのぐらい開発に時間を要するかを把握している(そうでなければ、研修開発を依頼されても見積を出すことができない)。振り返ってみると、私がX社に在籍していた頃は、そのような標準作業期間が設定されていなかった。
3社では、皆忙しそうにしている割には成果が上がらないという状態が長く続いた。見かねたZ社の経営陣は、社員のタイムマネジメントに乗り出した。エクセルのフォーマットを用意し、毎週月曜日になると、1週間で予定されているタスクと、それぞれのタスクに費やす予定の時間を社員に記入させた。そして、毎日仕事の実績を記録させ、予定と実績の乖離を見える化した。しかし、Z社の社員に話を聞くと、エクセルの報告書を提出しても、経営陣から何かフィードバックがあるわけではなかったという。どうやら、経営陣は各社員のエクセルを管理部門の社員に集計させ、それで満足してしまっていたらしい。
Z社の経営陣は「社員が仕事をしていない」と思ってタイムマネジメントを始めたのだが、実は現場社員の方も、「経営陣が仕事をしていない」と感じていた。経営陣はいつもオフィスにおり、顧客企業のところにはたまにしか営業に行かないし、コンサルサービスの開発にもあまり協力してくれない、と現場社員は見ていた。社長自ら営業の指揮を執るか、製造現場に立って手を動かしている多くの中小企業とはかけ離れた現状に、Z社の社員は不満を抱いていた。
経営陣が「我が社は今まで生産性を軽視しすぎていた。これからは生産性を上げるために、お互いの仕事の内容をオープンにしよう。もちろん、私も自分の仕事を可視化するから、社員の皆さんも仕事の透明化に協力してほしい。そして、生産性向上のために、忌憚なく意見を言い合ってほしい」と言えば、結果は違ったかもしれない。しかし、経営陣の性格からして、おそらく「なぜ管理する側の仕事をオープンにしなければならないのか?」と言い放って終わりだっただろう。
X社の場合は、Z社に比べれば多少はましであった。エクセルを使うのではなく、毎週月曜日に経営陣と開発・講師チームが集まって、各個人のその週のタスクと予定工数を確認する会議を開いていた。その会議では、経営陣のタスクも公にされた。
ところが、営業チームはこの会議の参加メンバーから外れていたという問題があった。もともとこの会議は、「開発・講師チームは仕事が遅いから何とかしてほしい」という営業チームの要請で開かれたものであった。しかし、私はマーケティング担当という立場で、両方のチームと接点があった。数字が目標通りに上がっていない営業チームも生産性に何らかの問題を抱えているはずであり、会議に加わった方がよかったと思う。
私がこの会議に出席して解ったのは、開発・講師チームが作業時間を非常に過大に見積もっていたことであった。開発・講師チームでは、例えば顧客企業からの要請に応じて既存研修のカスタマイズに2日費やす、研修の実施報告書の作成に丸1日かけるといったことが常態化していた。
以前の記事「【ベンチャー失敗事例(4)】成果に至る数字の流れが可視化されていなかった【System】」で指摘したように、研修のカスタマイズに2日かけると、その案件は赤字になる。しかも、似たようなカスタマイズを何度も繰り返しているのに、一向に作業時間が短縮されない。また、研修の実施報告書といっても、研修終了後の受講者アンケートを集計するだけであり、エクセルの雛形さえしっかりしていれば、2時間程度で終わる作業である。
【ベンチャー失敗事例(4)】成果に至る数字の流れが可視化されていなかった【System】
X社が見込み顧客を発掘する方法には、大きく分けてX社が開催する人事担当者向けの無料セミナーに参加してもらう、自社HPからサービス内容について問い合わせてもらう、という2つがあった。これらの方法によって獲得した見込み顧客に対して営業担当者がアプローチをかけ、研修の受注を目指す。その案件ステータスは「初期接触」、「提案」、「条件交渉」、「見積提示」、「契約」という5段階に分けられ、各案件が今どの…
前掲の記事でも書いたが、自社のマーケティングを兼務していた私は、各講師に対してHPに掲載するコラムの執筆をお願いしていた。マネジャーの中には、2,000字程度のコラムを書くのに1日かけるという、とんでもない見積もりをしてくる人もいた。私としては、1,000字で1時間として、2時間が標準時間だろうと考えていた。文章を書き慣れていないがために下準備に時間がかかるとしても、せいぜい半日が許容範囲であった。コラムは、講師が自分の専門分野について意見を表明する場である。そのコラムに時間がかかるということは、自分の専門性がまだまだ浅く、恥ずかしいことであると認識してほしかった。
経営陣は、いつもメンバーの作業見積もりを漫然と聞いているだけで、生産性を上げよとハッパをかけることもなかった。経営陣側も、見込み顧客に対する表敬訪問を週に2~3件行うにとどまり、残りの時間は提案書を作成しているという、何とも曖昧な弁明が多かった。提案書作成は、表敬訪問の少なさを覆い隠す口実であるかのように感じられた。経営陣が社員に対して生産性を上げるように強く言えなかったのは、問題を指摘するとブーメランのように自分に跳ね返ってくることを恐れていたからなのかもしれない。
X社は業務の生産性が低いことに加えて、会議の生産性が低かった。X社では、毎週金曜日の夜18時から経営会議が開かれていた。経営会議にはマネジャーと経営陣が全員出席することになっていた。X社は社員の半分以上がマネジャーという不可思議な組織だったため、経営会議がほとんど全社会議のようなものであった。まだマネジャーではなかった当時の私は、ガラスで仕切られていた会議室の中の様子をうかがい、毎週のように21時になっても22時になっても延々と続くその経営会議を横目で見ながら仕事をしていた。
ケリー・マクゴニガル『スタンフォードの自分を変える教室』(大和書房、2012年)によれば、脳も筋肉の一種であるから、使い続ければ疲労する。金曜日の夜というのは、脳が最も疲れている時間帯である。その時間に、経営会議という重要な会議はふさわしくない。重要な会議は朝に開くべきである。全社会議は月曜日の朝が最も適している。コンビニエンスストア各社は、毎週月曜日にスーパーバイザーを集めた本社会議をしていると聞く。
私が最も理解しがたかったのは、2011年の春から夏にかけて、新しい研修を開発するという目的で、開発・講師チームがほぼ毎日のように、平日の日中にリミットを定めず、3時間も4時間もかけて会議を行ったことである。開発・講師チームの一員であった私は、経営会議とは異なり、この会議には参加せざるを得なかった。
会議には様々な問題があった。まず、各回のゴールが設定されていなかった。そもそも、研修の開発スケジュールが曖昧であり、毎回の会議でどこまで決めなければならないのかが明確でなかった。会議が始まると、「さて、今日は何について話し合おうか?」と手探りで会議が進行する。
会議とは意思決定の場であり、マネジメントが必要である。会議の責任者は、「会議では何について意思決定を下すのか?」というゴールイメージを持っておかなければならない。その上で、議論の材料となる情報をあらかじめ用意しておく。その情報は必ず、出席者に配布する紙の資料に落とし込む。口頭で議論をすると、どうしても会議が”空中戦”になりやすい。お互いの認識がだんだんずれていき、認識が異なったまま、各々が自分の言いたいことばかりを言うようになる。紙の資料があれば、議論が脱線した時でも資料に戻って、メンバーの認識を揃え直すことができる。
紙の資料は、官僚が用意するような分厚い資料ではなく、数枚程度で簡潔にまとめる。会議の責任者は、出席者の性格や考え方を踏まえ、その資料をベースに議論をするとどんな議論の流れになりそうか、前もってシミュレーションを行う。そうすれば、会議のゴール=下すべき意思決定に至るまでにどの程度の時間が必要なのかが解る。その想定時間に基づいて、責任者は会議の開始と終了の時間を出席者に案内する。終了時間が設定されていない会議などは論外である。
先のX社の会議では、それぞれのメンバーが自分の作成した研修資料を一応持ち寄るものの、「今日の会議で何を議論したいのか?何を決めたいのか?」という論点が資料として整理されていなかった。よって、ここを変えた方がいい、こういう考え方もある、このページはいらない、この図よりあの図がいいなどといった具合に、レベル感の異なる話が次から次へと噴出して、議論がすぐに拡散してしまう傾向があった。
メンバーから指摘を受けた人は、全員の意見を消化し切れず、次の会議で不十分な資料を持ってくる。メンバーはそれぞれ他の既存研修の案件を抱えているという状況で、ほぼ毎日のようにこの会議に半日を費やしていたのだから、十分な修正時間がないのは明らかであった。次の会議では、またメンバーからあれこれと意見を言われる。会議はこうした悪循環に陥っていた。
会議の主催者であるA社長が、会議の中で全員の力を合わせて研修コンテンツを練り上げればよいというスタンスだったことも問題であった。一見すると民主主義的なこの方法には、実は致命的な欠陥がある。それは、フリーライダーが生まれるということだ。メンバーは、「自分が完全に研修コンテンツを作らなくても、他のメンバーがアイデアを出してくれる」と甘えるようになる。
確かに、組織は自分一人だけではできないことを達成するための装置であり、チームワークは重要である。だが、組織やチームのメンバーは、自分の成果をインプットとして仕事をしている。よって、他のメンバーに迷惑がかからないよう、自分が担当している領域については、最高のアウトプットを出さなければならない。民主主義が成立するには、メンバーが自律していることが絶対条件である。メンバーが未熟な状態で民主主義を導入すると、フリーライダーが生まれ、衆愚政治に陥る。スズキ自動車の鈴木修会長兼社長は、「民主主義だからといって時間をかければよいというものではない。カネと時間がかかるものは大嫌い。会議はその最たるものだ」と述べている(鈴木修『俺は、中小企業のおやじ』〔日本経済新聞出版社、2009年〕より)。
ここまでをまとめると、3社の社員は、自分の時間単価に見合った生産性を上げようとしていなかった。標準作業時間が設定されず、業務コストをいたずらに膨らませるばかりであったし、会議の出席者の時間単価から導かれる“会議のコスト“をカバーできる意思決定を下そうとしていなかった。もう1つ厄介だったのは、本業では時間単価を意識しないのに、雑務になったとたんに時間単価を強く意識する社員がいたことである。
3社が入っていたオフィスには、コンサルティングや研修開発の資料として、数千冊の書籍が置いてあった。その数があまりに増えたため、一度整理をすることになった。ところが、Z社のマネジャーは、「そんな雑務は時間単価が高い自分たちのやることではない」と協力を拒否した。そして、誰に作業してもらうかを何日も議論し、挙句の果てに、本の整理に自社の社員を使った場合のコストと、アルバイトをスポットで雇った場合の人件費を計算して、後者の方が安く済むからアルバイトを使いましょう、とC社長に真面目に進言していた。そのような計算をやっている間に、自分たちでさっさと片づけてしまえばよかった。結局、それから数か月も経った後、X社の有志が日曜日に集まって、3時間ほどで本を片づけた。
人手不足のベンチャー企業では、誰の担当でもない雑務がどうしても生じる。それを誰かがやらなければ、会社の業務は回って行かない。雑務が放置される企業では、知らず知らずのうちにチームワークが蝕まれていく。誰かが困っていても、見て見ぬふりをするようになる。すると、本当に会社の一大事が訪れた時、全員でそれを乗り切ろうという雰囲気が生まれない。今まで誰もやったことがないが、誰かがやらなければならない仕事が発生しても、「それは私の時給に見合った仕事ではない」と言い逃れをしてしまう。
生産性とは、簡単に言えば「売上高÷業務コスト」である。ここまでは、分子の業務コストに焦点を当ててきた。X社のさらなる問題は、分母の売上高を安易に損なう事態も頻発していたことである。価格に関してかなりの裁量が営業担当者に与えられ、好き勝手な値引きが行われていた。
私がマーケティングを兼務するようになってから案件情報を調べたところ、研修1日あたりの標準価格が40万~50万円に設定されていたにもかかわらず、20万円~30万円の案件が次々と見つかった。値引き率は20%~60%にも上る。営業利益率がわずか数パーセントしかない食品小売業では、10%の値引きでも勇気が必要である。営業担当者の一存で20%~60%の値引きが行われていたX社の現場は異常である。
研修は一度受注すれば、顧客企業が数年にわたり繰り返し実施してくれることが多い。最初に安い価格で受注してしまうと、2回目以降もその価格になり、後から値上げをすることは非常に困難である。営業担当者はよく、1回目はトライアルなので値引きしましょうと言っていたものの、2回目以降に値上げできる保証はどこにもない。最初の安い価格が2回目以降も維持されるならまだましであった。1回目に大幅な値引きに成功した顧客企業側は、「X社は買い叩いても大丈夫だ」と思い、2回目以降にさらなる値下げを要求してくることもあった。そうすると、不毛な価格交渉に営業工数が取られ、ますます損失が広がってしまう。
値下げをすれば顧客企業はより満足してくれるという一般的な考え方に、私は異議を唱えたい。実は、価格が安い方が、顧客を満足させることは難しい。googleで飲食店を検索すると、飲食店の口コミ評価も表示される。安さを売りとしているマクドナルドやドトールコーヒーなどは、だいたいどの店舗も3点台前半の評価にとどまる。一方で、高価格の食事やコーヒーを出す地元の飲食店は、4点台の評価を獲得しているものだ。
言葉は悪いが、財布にあまり余裕がない顧客は、企業に対して粗雑な要求をする傾向がある。そして、要求があまり満たされないと辛口の評価を書き込む。他方、財布に余裕がある顧客は、もちろん企業に対して厳しい要求もするものの、その要求はそれなりに洗練されている。企業が合理的な努力によってニーズを充足すれば、顧客は高評価をつけてくれる。価格が高い方が、高い顧客満足度を実現しやすいのである。高い顧客満足度を高い収益に結び付けるのはたやすい。低い顧客満足から高い収益を得るには、ビジネスモデルに相当の工夫が必要である(だから、マクドナルドを倒せる企業はなかなか現れない)。
営業担当者によるいい加減なプライシングを問題視したA社長は、見積書を顧客企業に提示する前に、A社長の承認を取りつけなければならないという社内ルールを策定した。ところが、このルールに従っていた営業担当者はたった1人だけであった。しかも、この営業担当者は、もともとほとんど値引きをしておらず、問題のない営業担当者であった。本当にコントロールする必要があった、安易な値引きに走っていた営業担当者たちは、このルールを完全に骨抜きにしていた。
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