高橋久一郎『アリストテレス(哲学のエッセンス)』―意思力が弱いのは問題だが強すぎるのも問題

高橋久一郎『アリストテレス(哲学のエッセンス)』―意思力が弱いのは問題だが強すぎるのも問題
 

本書は「意思力の弱さ」、平たく言えば「解っているのに止められない(あるいはやってしまう)」という現象を掘り下げた1冊である。正直に言うと、本書を読んでもアリストテレスの言う「理論的三段論法」と「実践的三段論法」の違いすら私は十分に理解できていないのだが、本書を通じて私なりに考えたことをまとめてみたい。

アリストテレスは三段論法を用いて意思力の弱さの解明に取り組んだ。三段論法とは、例えば「全ての人間は死ぬ」という一般的・抽象的な「大前提」があり、「太郎は人間である」という個別具体的な事象に関する「小前提」がある場合、「太郎は死ぬ」という「結論」が自ずと導かれるという考え方である。

アリストテレスはこれを人間の行為にもあてはめた。「甘いものは健康に悪いから食べない」という大前提を持つ人がいて、今目の前に置かれた甘いものを認識すると、「これは甘い」という小前提が発生する。意思力に問題がなければ、「これを食べない」という結論が導かれる。ところが、我々は「甘いものを食べて快くなりたい」とも思っている。これもまた大前提であり、「甘いものは健康に悪いから食べない」という大前提がこの大前提に敗れた場合、我々は甘いものの誘惑に負けてしまうというわけだ。本書の著者によれば、意思力の弱さは小前提に問題があるからだとする立場もあるようだが、著者自身は意思力の弱さを大前提の問題に帰結させている。

ところで、「全ての人間は死ぬ」というのは紛れもない科学的事実であるのに対し、「甘いものは健康に悪いから食べない」とか「甘いものを食べて快くなりたい」というのは、絶対的な正解がない価値判断である。そこで、こうした価値観がどこから導かれるのかが問われる。アリストテレスは、人間の最上位の目的を「善」と位置づけた。全ての人間は究極的には「善く生きる」ことを目指している。何のために善く生きるのか?という問いに対する答えはもはや存在しない。人間のあらゆる判断は、善く生きるための手段である。アリストテレスは手段についてあれこれと考えをめぐらせることを「思案」と呼び、思案の結果導かれた事柄を「選択」と呼んだ。

「甘いものは健康に悪いから食べない」という大前提は、1つの選択である。このことを踏まえてもう一度整理すると、「善く生きる」という究極の目的から思案された選択である「甘いものは健康に悪いから食べない」という大前提がある場合、今目の前に甘いものがあって「これは甘い」という小前提が発生しても、「これを食べない」という結論に到達することができる。著者はこれを「正しい三段論法」と呼んだ。これに対して、意思力の弱さが露呈するケースは「疑似三段論法」と呼ばれる。疑似三段論法には、正しい三段論法のような思案や選択がない。いきなり「甘いものを食べて快くなりたい」という大前提が掲げられ、「これは甘い」という小前提が生じると、甘いものを食べてしまうことになる。

だが、個人的には、「甘いものを食べて快くなりたい」という大前提も、「善く生きる」という究極の目的から思案された選択の1つではないのかと感じる。「善く生きる」という目的から導かれた「甘いものは健康に悪いから食べない」という大前提と、何の背景もなしに設定された「甘いものを食べて快くなりたい」という大前提が葛藤するというのは不自然に思えるからだ。「甘いものを食べて快くなりたい」という大前提にしても、「自分が快くなれば周りの人に明るく振る舞うことができる。したがって、人間関係が円滑になる」と考えれば、十分善につながっていると言える。どちらの大前提も、「善く生きる」という目的につながっている同次元の話であるからお互いに対立するのである。

この対立を解消するには、「どちらがより善か?」と問うしかない。我々は周囲の人間関係の中で善く生きたいと思っているし、自分が所属する社会を中長期的に存続させたいとも思っている。そこで、他者にとってのメリット、中長期的なメリットがあるかどうかがポイントとなる。

とはいえ、以前の記事「利他的動機を利己的動機よりもちょっとだけ先行させて生きる」でも書いたように、完全な滅私は自己破滅を招いてしまうから、自分にとってのメリットも適切に確保しておくことが肝要である。また、中長期的なメリットばかりを追求していつまでも何のメリットもないようでは、早晩息切れしてしまう。よって、短期的なメリットもセットで考えておかなければならない。もちろん、短期的なメリットよりも中長期的なメリットの方が大きくなることが絶対条件である。そうでなければ、社会を中長期的に存続させる意義がなくなってしまう。以上を総合すると、我々が何か判断を下す際には、

 ①周囲の人々にとってのメリットは何か?
 ②私にとってのメリットは何か?
 ③①は②よりも少しだけ多いか?
 ④中長期的に得られるメリットは何か?
 ⑤短期的に得られるメリットは何か?
 ⑥④は⑤よりも少しだけ多いか?

ということを検討する必要がある。①②④⑤が明確であり、③⑥がYesであれば、善に向かっていると言ってよいだろう。

アリストテレスの言う究極目的と大前提は、企業で言えばミッション(使命)とバリュー(価値観)に該当する。人間が「善く生きる」ことを究極の目的としているように、企業はミッションを究極の目的としている。そして、人間が「善く生きる」ための思案を通じた選択の結果が大前提であるように、企業がミッションを達成するために従う基準がバリューである。優れた企業はバリューを組織の隅々にまで浸透させ、戦略、組織構造、業務プロセス、人材育成、評価制度、資金配分の仕組み、取引先との関係構築などに一貫性を持たせようとしている。

それでもバリューをめぐる見解の相違はつきものであり、経営者やマネジャーは現場を巻き込んでしつこいぐらいに対話を実践している。例えば「常に挑戦し続ける」という行動規範があったとして、目の前に「金額は大きい(≒責任が大きい)が難易度はそこそこの案件」と「金額はそこそこだが難易度が高い案件」がある場合、どちらの案件を優先するべきかは、一筋縄では答えが出ない問題である。とはいえ、いつもいつもバリューをめぐって対話をしなければならない組織というのもどこか頼りない。

アメリカの経営学者ジェームズ・C・コリンズは、『ビジョナリーカンパニー』シリーズの1冊目である『ビジョナリーカンパニー―時代を超える生存の原則』(日経BP出版センター、1995年)の中で、偉大な企業はゆるぎない基本的価値観と目的のセットを基本理念として保持していることを明らかにした。例えば、ボーイングには「大きな課題や冒険に挑む」、「安全で質の高い製品を提供する」、「誠実に倫理にかなった事業を行う」、「航空学世界に寝食を忘れて没頭する」という基本的価値観がある。ジョンソン&ジョンソンには「我々の責任には序列がある。一番目が顧客、二番目が従業員、三番目は社会、そして株主は四番目である」、「能力に応じて機会と報酬を与える」、「権限の分散=創造力=生産性」という基本的価値観がある。ビジョナリーカンパニーの基本的価値観は、3~5個程度の非常にシンプルなものである。

ビジョナリー・カンパニー 時代を超える生存の原則
ジム コリンズ;ジェリー ポラス
日経BP
2014-08-29

コリンズはシリーズ最終作の『ビジョナリーカンパニー4―自分の意志で偉大になる』(日経BP社、2012年)でさらに論を進めている。同書で分析の対象となった10X(十倍)企業(どうしようもなく凡庸な業績が長年続いたのに、ある時点から飛躍的に業績が伸びた企業)には「SMaCレシピ」があると指摘する。SMaCとは、「具体的である(Specific)」、「整然としている(Methodical)」、「そして(and)」、「一貫している(Consistent)」の頭文字を取ったものである。明快なSMaCレシピは、戦略上の概念を現実の世界へ適用するための業務手順である。


サウスウエスト航空には、「2時間以内の近距離路線に徹する」、「10~12年に渡って主力機として中型機ボーイング737を使い続ける」、「航空機稼働率を高く維持する。ゲートターンは迅速に、できれば10分以内にする」、「機内食サービスは手がけない」など、かつてのCEOハワード・パトナムが作った10の項目からなるSMaCレシピが存在している。レシピは「すべきこと」と「すべきでないこと」の両方を含む。驚くべきことに、アメリカの航空業界は大規模な業界再編、ハブ・アンド・スポーク型の台頭、ストライキ、「9.11」など何度も荒波を経験したにもかかわらず、サウスウエスト航空のSMaCレシピは四半世紀の間にたった20%前後しか変更されていない。同書ではサウスウエスト航空の基本的価値観とSMaCレシピとの関係性が必ずしも明らかにされていないのだが、1つ1つの基本的価値観から導かれる下位の価値観の候補について、前述の①~⑥の問いを発した結果、よりミッションに適っていると判断できる事柄だけを残すとSMaCレシピが完成するのではないかと考える。

私は「バリューを社内で共有すればよい」と折に触れて主張してきたが、この言説があまりにもナイーブであったと反省した。もちろん、組織内における対話の余地を限りなく少なくしようと思えば、バリューの中身をどこまでもブレイクダウンし続ければよい。しかし、あまりに細部まで明確に定義されたバリューは、今度は組織から柔軟性と自律性を奪ってしまうことは明らかである。企業が際限のない対話におぼれて本業に集中できなくなる事態を防ぐためには、よく練られた形でバリューを少なくとももう一段階は具体化することが理に適っているようである。

偉大な企業は(A)ミッションから導かれる(B)バリューをより具体化した(C)SMaCレシピを保有している。ある(D)事実に直面した時、SMaCレシピに照らし合わせて判断を下し、(E)行為に移る。意思力のある企業は三段論法に従っているというよりも、(A)~(E)の五段論法に従っていると表現する方が正確かもしれない。

ここで非常に厄介な事実を1つ指摘したい。「意思力が強い」とは、単に正しいことを強く信じていれば実現できるわけではないということである。正しいことを信じていても、いや正しいことを信じているがゆえに、人間は時に間違った判断を下すことがある。ケリー・マクゴニガル『スタンフォードの自分を変える教室』(大和書房、2012年)では、プリンストン大学が行った興味深い実験結果が紹介されている。

スタンフォードの自分を変える教室 (ブック)
ケリー・マクゴニガル
大和書房
2012-10-31

まず、学生は「ほとんどの女性は本当に頭がよいとは言えない」、「ほとんどの女性は外で仕事をするよりも家で子どもの世話をする方が向いている」という意見に対して、「全く反対」、「やや反対」、「やや賛成」、「全く賛成」のいずれかで評価をするように求められた。もう少し表現を和らげたものとして、「中には本当に頭がよいとは言えない女性もいる」、「中には外で仕事をするよりも家で子どもの世話をする方が向いている女性もいる」という意見に対しても同様に評価をすることになった。

次に、学生たちは就職面接という設定で意思決定する実験に参加した。男女数名の候補者の適性を判断するというもので、職種は建設や金融など典型的な男性中心の業界の上級職という設定である。性差別的な意見に反対した学生ならば、能力のある女性候補者を差別したりしないはずである。ところが、あからさまな性差別的な意見に強く反対した学生の方が、「中には~な女性もいる」という意見にしぶしぶ賛成した学生よりも、その職種には女性の方が適していると判断したのである。性差別的な意見を人種差別的な意見に変えても、同じような結果が得られた。

研究者はこれを「モラル・ライセンシング」と呼んでいる。学生たちは決して差別をしたいと望んでいたわけではない。しかし、自分は差別に強く反対する意見を表明したことで、よいことをした気分になってしまい、次に自分が下した判断の悪い点が目に入らなくなってしまった。妻帯者でありながら秘書と関係を持ってしまう愛妻家、自分の金は惜しみながら公費を自宅の改装に使ってしまう公務員、無抵抗の犯人に対してひどい暴力を振るってしまう警察官の行為もモラル・ライセンシングで説明がつく。もっと身近な例で言えば、衝動買いをぐっと我慢した人が家に帰った途端おやつを食べてしまうことも、プロジェクトに膨大な時間を取られている社員が会社のクレジットカードを当然のごとく私用で使ってしまうことも、モラル・ライセンシングである。

価値観を強く信じると自動思考でモラル・ライセンシングに陥るのであれば、それを回避するには、「価値観による束縛を少し緩めること」が大切なのではないかという気がする。これは元も子もない提案かもしれない。先ほど、企業は諸活動をバリューによって隅々まで一貫させることが重要であり、より実効性を担保するにはSMaCレシピを形成するとよいと書いた。だが、バリューやSMaCレシピを社員の無意識の中に埋め込むのは行きすぎである可能性がある。無意識のうちに価値観に従った判断ができるほど強い価値観は、同程度の強さをもってモラル・ライセンシングを引き起こすリスクをはらんでいる。

企業にできるのは、まずは日々の業務の中で、今まさに意思決定が必要とされているのだというその瞬間を意識することである。判断を自動思考に委ねてはならない。そして、バリューにしろSMaCレシピにしろ、判断のよりどころを十分に参照する。覚える必要もないし、まして身体に染み込ませる必要もない。多少物解りが悪くて、いつも価値観が書かれた紙を見ないと心もとないぐらいでよい。そして、判断を下した後も、「本当にあの判断でよかったのか?」、「他の選択肢はなかったのか?」と反省する。「次は完全に価値観に従った意思決定を下そう」と意気込む必要はない。「次はもうちょっとマシな判断をしよう」と前を向くことができれば十分である。

抽象的な価値観だけでは足りないが、価値観をあまりにブレイクダウンするのはやりすぎである。価値観を意識するだけでは足りないが、意識しなくても価値観に従えるレベルにまでは達しなくてもよい。それらの中間で、若干覚束ない足場に立脚し、不安を抱きしめながら、なおも踏ん張ることができる企業こそが、本当の意味で意思力が強いのだろうと考える。