【メンタルヘルス対策】中小企業がすぐに実践可能なラインケアの5ポイント
- 2021.02.10
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職場でメンタルヘルス不調に陥る社員が増加しているという社会的な問題を受けて、2015年6月に「労働安全衛生法の一部を改正する法律」が公布され、同年12月から「ストレスチェック制度」が開始された。「定期的に労働者のストレスの状況について検査を行い、本人にその結果を通知して自らのストレスの状況について気付きを促し、個人のメンタルヘルス不調のリスクを低減させるとともに、検査結果を集団的に分析し、職場環境の改善につなげることによって、労働者がメンタルヘルス不調になることを未然に防止すること」が目的である(厚生労働省HPより)。
ストレスの状況を検査する診断ツールは、社員の心理的な負担の原因、社員の心身の自覚症状、社員への支援の度合いという3つの領域を測定することができるものであればどんなものでもよい。ただ、いくつか標準的なツールが公開されており、一般的には57項目からなる「職業性ストレス簡易調査票」が用いられることが多い。
2012年には80項目から構成される「新・職業性ストレス簡易調査票」が公表され、メンタルヘルス不調を引き起こす組織的な原因にまで踏み込んで分析することが可能となった。具体的には、作業(仕事の意義、役割明確さ、成長の機会)、部署(仕事の報酬、上司のリーダーシップ)、事業場(経営層との信頼関係、人事評価の公正さ、個人の尊重)といった要因が追加されている。企業は診断結果を受けて、職務分掌や組織図の見直し、上司と部下の適材適所の実現、評価・報酬制度の再構築といった人事・組織面の施策を講じることとなる。
ストレスチェック制度の実施は、社員が50人以上いる事業場では義務である。しかし、社員数が50人ぐらいの中小企業においては、上記のような仰々しい施策を実践するほどの余裕がないのが実情だろう。無理に人事制度を導入しようとして社内にプロジェクトチームを立ち上げたところ、メンバーがプロジェクトの重責に耐えられず不調に陥ってしまうようでは本末転倒である。
この規模の中小企業では、上司と部下のコミュニケーションや人間関係が部下の心理に大きく影響を及ぼす。そのため、上司が日々の部下マネジメントをちょっと工夫するだけで、部下のメンタルヘルスを大幅に改善することができると考えられる。そのポイントを以下に5点ほど列挙する。
(1)納得感のある目標設定
部下は自分がどこに向かっているのか解らない状況で仕事を続けると、強いストレスを感じる。上司は、部下に対して明確な目標を設定しなければならない。ただし、例えば営業担当者が5人いる企業で、「今期の全社の売上目標は5億円だ」という社長の宣言を受け、営業部長が5人に向かって「各人の目標は1億円だ」と告げるだけではあまりにも物足りない。この営業部長は、社長が掲げる目標を人数に応じてブレイクダウンしただけの単なる伝書鳩である。何事も効率が追求される現代において、情報を上から下に流すだけの管理職には、組織内の居場所はない。
少なくとも、社長が掲げた全社目標を達成するために、営業部門では何が課題となるか分析した上で目標を設定する必要がある。売上高5億円という目標が現状からはストレッチした数字であるならば、新規顧客の開拓が営業部門の課題となる。上司は、積み増しが要求される売上高と、過去の営業活動の実績からはじき出した受注率に基づいて、例えば「1人毎月50件飛び込み営業をしよう」といった目標を設定する。すると、部下は自分が何をすべきかはっきりと自覚できる。
とはいえ、納得感のある目標という観点からは、これでもまだ不十分である。上司は過去に飛び込み営業で成果を上げて出世したのだが、今の若手営業担当者は飛び込み営業の有効性に疑問を感じているとしよう。こうした状況では、先ほどの目標は部下の“やらされ感”を生んでしまう。上司は、新しい見込み顧客発見の方法を試したいと考えている部下の意見を尊重する。その結果、従来の飛び込み営業を継続しつつも、新たに「無料セミナーを毎月1回開催する」といった目標が追加されるかもしれない。
さらに言えば、上司自身も社長との間で目標のすり合わせをすることが大切である。ここ最近、食品小売業界の企業から問い合わせが増えているのに、社内の事情で対応が後回しになっていることを営業部長が把握していたとする。営業部門で5億円売り上げよと社長から言われた営業部長は、自分の見解を社長にぶつけた上で、「食品小売業界から新たに1億円売り上げる」という目標を営業部門の目標に追加する。そして今度は、営業部長が部下と意見をすり合わせ、「食品小売業界向けに無料セミナーを毎月1回開催する」という目標を設定する。ここまで来れば、営業部長の目標も部下の目標もかなり具体的になる上、本人の意向が反映された納得感の高いものとなる。
(2)権限移譲
目標設定によって何をすべきかが明確になったとしても、目標に向かう手段に関していちいちあれこれと口出しをされるようでは、部下のモチベーションは下がってしまう。総じて、メンタルヘルス不調は長時間労働によって発生するものだと思われているが、ある研究によると、長時間労働よりも裁量権の狭さの方がメンタルヘルスにとってリスクとなる。裁量権が大きければ、長時間労働のリスクを打ち消すこともあるそうだ(松崎一葉、 笹原信一朗「大学・研究所のメンタルヘルス」〔『臨床精神医学』33巻7号、2004年〕)。
厳密には、権限移譲とは仕事の進め方を部下に自由に考えさせるにとどまらず、業務遂行に必要な人・モノ・金・情報といった経営資源の獲得や使用に関する意思決定権を部下に与えることである。だが、これを実現しようとすると、人事制度、購買制度、予算制度、情報システムなど、社内の仕組みを大幅に改革することが求められる。その方法については別の機会に譲る。今回の記事では、「権限委譲」が単なる「丸投げ」とならないように注意すべきことを述べてみたい。
まず重要なのは、「なぜ(Why)任せるのか?」を決めておくことである。「その部下にこういう能力を習得してもらいたいから」という育成目的で任せるのがベストだと言える。部下の能力を120%発揮しなければできないような仕事を敢えて任せてみる。そのためには、普段から部下の能力レベルを的確に把握しておくことが不可欠である。一方、丸投げの場合は、「その部下が優秀だから」というだけの理由で仕事を任せてしまう。優秀な部下には次から次へと仕事が集中する。その部下は長時間労働を強いられ、メンタルヘルス不調に陥る恐れが高まる。
次に、「何(What)をどこまで任せるのか?」を決定する。権限移譲すると言っても、部下に仕事を100%任せっきりにすることはない。上司と部下との間では一定の役割分担が発生するものである。そこで、あらかじめお互いの仕事の範囲を明確にしておく。例えば、法人向けの提案営業の場合、顧客企業の経営課題を整理し、課題解決のための自社ソリューションを紐づけるところまでは部下に任せるが、見積の詳細根拠は上司が最終的に作成する、といった具合である。
その上で、上司は部下に対し、どんなアウトプットを期待しているのか、イメージを伝える。さらに、部下が仕事を進めていく中で何か困難に直面した際の判断基準を共有する。一例としては、提案するソリューションがカスタマイズを要する場合、どの程度までのカスタマイズを許容するのか、といった基準が挙げられる。こうした基準には、上司の個人的な考え方に加えて、組織全体としての価値観が反映されていることが多い。
上司がアウトプットイメージや判断基準を伝えると、部下の裁量が狭まってしまうのではないかと感じるかもしれない。だが、上司が「あとはよろしく」などと言って丸投げした場合に何が起きるかを想像してみよう。部下は全ての仕事を自分で抱え込んでしまう。しかも、上司はアウトプットのイメージを誰にも語っておらず、よりどころとなる判断基準や価値観もないから、仕事が属人化する。すると、誰もこの部下を助けることができなくなり、職場で孤立が深まる。つまり、仕事が行き詰まった時のリスクが大きすぎるのである。
最後に、「いつ(When)上司はチェックするのか?」を決めておく。権限委譲したとしても、部下の仕事に対しては上司が責任を負っているから、上司は部下の仕事をモニタリングする必要がある。その頻度と手段について部下との間で合意しておく。能力がまだそれほど高くない部下の場合は、報告の頻度を多めにし、かつ細かいコミュニケーションが取れるように、必ず対面で報告を受けるようにする。部下の能力が上がるにつれて報告の頻度を減らしていき、メールなどの非対面手段を併用してもよいだろう。
上司がチェックのタイミングを決めずに丸投げすると、部下の仕事が完成に近づいた段階で、「これは自分が期待していたアウトプットではない」などと言ってちゃぶ台返しをしてしまう。ほぼ完成している仕事を修正するのは非常に手間がかかるものである。それに、ちゃぶ台返しをされた部下は、「上司は自分を信頼して仕事を任せてくれたのではなかったのか?」と疑心暗鬼になる。人間関係のヒビはメンタル不調の火種となりやすい。
(3)具体的な指導
権限委譲により部下に仕事を任せた後も、ダメなものはダメとはっきり部下に伝える責任が上司にはある。だが、そのフィードバックの仕方を間違えると、部下のメンタル不調を助長する。
上司はかっとなるとつい、「君は“いつも”気が利かないな」とか「“また”お客様を怒らせたのか?前と同じじゃないか」などと、極端に一般化した言い方で部下を叱りがちである。フィードバックの際は、具体的な場面を特定し、その時何が起きていたのか、何が悪かったのかを端的に伝えることがポイントである。例えば、「気が利かない」という曖昧な表現ではなく、「今日の商談では、先方のP課長がうちの製品説明に不満顔だったのを見逃したね」と指摘するのがよい。
“いつも”という一般化は、往々にして“何で”という詰問とセットになり、さらに部下を追い詰める。「君は“いつも”金額の計算がおかしいよね?“何で”こんな簡単な計算を間違えたんだ?」といったたぐいのセリフを浴びせられた経験は、おそらく誰にでもあるに違いない。“何で”と言って過去に意識を向けるのではなく、「“どうすれば”簡単な計算ミスを防げると思う?」と問いかけて、未来への展開を誘導することが有効である。
「“リーダーなんだから”若手の面倒をもっと見るべきだ」といったレッテル貼りや、「君もそろそろ“Rさんみたいに”結果を出してよ」といった他人との比較も、よくある悪い例である。部下に対して、リーダーとしてどのような役割を期待しているのかを伝えなければならない。例えば、「君にはQさんの企画書作成をフォローしてほしい」と伝える。また、Rさんを目標とさせるのではなく、「君の目標は『休眠顧客への重点的なアプローチ』だったよね」などと伝えて、本人にとって固有の目標を意識させる必要がある。
うっぷんが溜まっている上司は、ある出来事で部下を叱るついでに、「そう言えば製造2課からの仕様変更にも未対応だろう?」などと、思い出したようにつけ加えることがある。だが、たった今叱られている部下には、一度にいくつもの問題に対処できるほどの心理的余裕はない。一度に2つも3つも指摘されたところで、結局はどれも改善できないという事態にもなりかねない。1回で指摘する事柄は1つに絞るのが原則である。もし、別の事柄を指摘したいのであれば、「別件で話したいことがあるので、後でもう1回話そうか?」と、機会を再設定する。
感情的になった上司は、「そんなことをされると迷惑なんだよね/困るんだよね」などと言って、自分の被害感情を強調することもある。「自分は迷惑な存在だ」と言われた部下は深く傷つく。こういう時は、「君がそういうことをしたのは非常に残念だ/悲しい」と、悲哀を端的に表明するにとどめておきたい。
(4)苦しい時の励まし
部下に任せた仕事は必ずしも順調に進むとは限らない。どんなに優秀な部下でも、一度や二度は非常に苦しいフェーズを迎えるものだ。上司は過剰に手を貸してはならないし、根性論で諭してもいけない。部下を効果的に励ますには、SOC(sense of coherence)という概念が参考になる。
SOCを提唱したのは、アーロン・アントノフスキーという医療社会学者である。アントノフスキーは、1970年代の初頭、ナチスの強制収容所に代表されるホロコースト(大量虐殺)を生き延びた女性の健康状態を調査するプロジェクトに携わっていた。強制収容所から生還した女性たちの70%は心身の健康に何らかの問題を抱えていた一方で、アントノフスキーは残りの30%の人たちに着目し、彼女たちの心身状態がなぜ良好なのかを考察した。その結果、「有意味感」、「把握可能感」、「処理可能感」を持っている人は心身状態がよくなるとの結論を得た。
この3つを仕事の場面を使いながら説明すると次のようになる。まず、「有意味感」とは、どんなに辛いことに対しても、何らかの意味を見出せる感覚のことである。部下に有意味感を持たせるには、「一見退屈そうなこの仕事だけど、うちのチームがこれをやることで社内にこんなメリットをもたらすはずだ」などと、仕事の意義や価値を言語化する。逆に、「意味があるとは思えないが、上がやれと言うから仕方ないよな」と言ってしまうと、部下の有意味感がくじかれる。
「把握可能感」とは、直面した困難な状況を、秩序立った明確な情報として受け止められる感覚のことである。例えば、「今期にしっかりとこの基礎的な仕事をしておけば、来期はそれを土台に面白い仕事ができるぞ」と部下に説明して、現在と将来の間の道筋を示す。「いつまでもこんなくだらないことをやり続けなければいけないんだろうな」とこぼすのは、将来の不確実性を強調し、部下の不安をあおってしまう。
「処理可能感」とは、どんなに辛いことに対しても、「何とかなるはず」と思える感覚のことである。「君たちは思い切って全力を尽くせばいいんだ。万一の時の責任は自分が取るから心配するな」と上司が言ってくれれば、部下は結果の成否を気にせずに、とにかくこの難局を乗り切ろうと思えるかもしれない。反対に、「きっと失敗して、俺たちは皆左遷だな」と部下と一緒に投げやりになってしまうのは最悪である。
(5)心理的報酬
部下のモチベーションを高めるためにお金を与えるのには限界がある。まして、人事権のない管理職には、給与制度を変えることなどできない。一方で、「褒める」ことは無限にできる。部下の仕事が上手くいった時はもちろんのこと、たとえ成果が出なかったとしても努力や頑張りに報いる言葉をかけると、部下は次も挑戦してみようという気持ちになる。
叱り方にポイントがあるように、褒め方にもポイントがある。最もオーソドックスな褒め方は、「営業成績の目標達成、おめでとう」と結果を承認することであろう。だが、営業成績は本人の努力だけでなく、周囲の協力や外部環境の運など、他の様々な要因にも影響されるものである。よって、部下が営業成績を褒められても、果たして本当に自分のことを褒められたのかしっくりこないかもしれない。より効果的に褒めるには、例えば「お客様への対応が上手になりましたね」などと、部下の事実を承認するのがよい。
「リーダーとして頑張っていますね」のように、「○○として」という言葉も褒める際にはよく使われる。人間は肩書や資格、地位に弱いので、これでも十分な誉め言葉になる。ところが、肩書などは抽象的であるがゆえに、これもまた、部下としては自分のどんな部分を褒められているのか解らなくなることがある。「毎日メンバーに声掛けしていて、熱意が伝わってきます」など、リーダーとして何の行動が優れているのか掘り下げて言及すると、部下の嬉しさが増す。
日本人、とりわけ男性は他人を褒めることにあまり慣れていない。そこで、まずは「あなたは素晴らしいです/すごいです」というYouメッセージを使うことから始めるのが無難である。とはいえ、あまりに簡単に使うことができるために、称賛の効果はやや薄くならざるを得ない。Youメッセージを使うのに慣れてきたら、今度は「私はあなたのおかげで助かっています/感激しています」というIメッセージに転換する。Iメッセージは、上司自身の気持ちの端的な表明である。「(3)具体的な指導」でも触れたが、気持ちを端的に表現するのは意外と難しい(叱る時は行き過ぎた言い回しになってしまう)。逆に言えば、難しいがゆえに、上司が自分の気持ちを端的に吐露してくれると、部下はその素直さと勇気に感激するのである。
上司が部下を直接褒めるだけでなく、同僚同士で褒め合う習慣を確立するとなおよい。ほとんどコストをかけずに実践できるのは、「サンクスカードの交換」である。これは、各人が名刺程度のカードに同僚のよいところを書き、定期的に交換し合うというものである。同僚が自分の仕事を日頃から見てくれているという状況は、モチベーションの源泉になる。何より、手書きのメッセージにはぬくもりがあってありがたみを感じやすい。
加えて、顧客からのプラスのフィードバックももれなく部下と共有することが重要である。顧客のちょっとした褒め言葉なら、部下も耳にしているだろう。しかし、上司が部下を直接褒めるのは気恥ずかしいように、顧客も取引先企業の担当者を直接褒めるのは気恥ずかしいと思っている。そのため、担当者ではなく、担当者の上司が顧客企業を表敬訪問した時などを見計らって、「御社の○○さんには本当によくしてもらっている」などと間接的に褒める。上司はその言葉を聞いたら、自社に戻ってから必ず本人にフィードバックしなければならない。
個人顧客の場合、本当に満足すると企業宛てに手紙を書くことがある。その手紙は、総務部から営業部に回ってくるのだが、管理職の手元で止まっているようでは非常にもったいない。必ず回覧にして、職場全体で共有するべきである。また、最近は手紙の代わりにメールを送る顧客も増えている。メールを部下たちにそのまま転送するよりも、敢えて印刷して褒め言葉のところにマーカーで線を引き、手紙と同じように回覧した方が、部下は嬉しく思うであろう。
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