納富信留『プラトン(哲学のエッセンス)』―否定=支配を伴わない新しいUnlearnの形を模索したい

納富信留『プラトン(哲学のエッセンス)』―否定=支配を伴わない新しいUnlearnの形を模索したい
 

20年前の2004年春、晴れて大学に進学した私は1つの奇妙な現象に直面していた。高校までとは全く異なる刺激的な大学の講義を受けると、受験勉強で頑張って覚えた知識が代わりに頭の中から知識が蒸発し、頭が軽くなるような感覚があった。「Learn⇒Unlearn⇒Relearn」という言葉がある。何か新しいことを学習する際には、それまでの学習内容を一旦忘却しなければならないという意味である。私の脳は、大学に入ってから新しいことを学ぶには、高校までの勉強を忘れよというメッセージを送っていたのかもしれない。せっかく1年間死に物狂いで覚えた事柄をいとも簡単に失うことには若干の抵抗があった。だが、高校までの勉強内容はそれ自体に意味があるというよりも、自学自習の習慣を身につけるための材料にすぎず、長く記憶にとどめておく価値はさほど高くないと割り切って、この事態を受け入れることにした。

それから20年経った今年、私は別の現象に直面した。新しい知識がどうにも頭に入って来ないのである。あれほど読書に熱心だったのに、本を読むのにも一苦労する。インターネットで手っ取り早く情報を入手しようとしても、短い記事ですら読むのが苦痛になる。テレビならつけておけば勝手に情報が入って来るだろうと思ったのに、脳に対する情報の入力の程度を自分でコントロールできないことに嫌気が差してすぐに消してしまう。社会人になってから16年が経過し、曲がりなりにも様々なことを学習してきたから、頭の中が飽和状態で、「Learn⇒Unlearn⇒Relearn」で言うところの「Unlearn」のフェーズに突入したのかもしれないと感じた。

そう言えば、科学者のキャリアに関する研究で、キャリア後期に高い業績を上げた科学者は、30代後半で一度研究テーマを大きく転換しているという論文を読んだことがある(原泰史、壁谷如洋、小泉周「ノーベル賞受賞者の特性分析から見える革新的研究の特徴」〔『一橋ビジネスレビュー 2017年SUM.65巻1号』〕)。これも「Unlearn」の一種なのだろう。私などは科学者ほどの頭脳など全く持ち合わせていないのだが、30代後半というのは年齢的に「Unlearn」のフェーズを迎えやすいのかもしれない。


キャリア一般の研究においては、40歳は「人生の正午」にたとえられる。40歳はちょうど人生の折り返し地点にあたるという意味である。人生の後半を充実したものにするには、これまでの経験や知識、価値観を一度棚卸し、本当に必要な資産のみを選択することが重要であるとされる。不要な物をあれもこれもと抱え込んで人生の後半戦に突入すると、人生は薄暗い夕暮れを迎えてしまう(金井壽宏『働くひとのためのキャリア・デザイン』〔PHP研究所、2002年〕)。


今回も大学時代と同様に、既存の知識が自然と抜け落ちて脳の中に十分なスペースができるのを待てばよいと思っていた。ところが、年齢を重ねると、覚えるのにも苦労するのと同時に、知識がなまじ脳に執着して、忘れるのにも苦労することに気づく。だから、人生の正午においては、これまでの知識や経験を意識的に取捨選択する、もっと踏み込んで言えば、一部の知識や経験は思い切って「否定」する必要があるとされるのだろう。とはいえ、この「否定」という儀式は非常に厄介である。納富信留『プラトン―哲学者とは何か(哲学のエッセンス)』(日本放送出版協会、2002年)を読みながら、内容がなかなか頭に入ってこないことに悩みつつ、私は「否定」が持つ破滅的な副作用について考えをめぐらせていた。


本書はソクラテスとプラトンに関する1冊である。ソクラテス哲学の特徴は「対話」にある。ソクラテスは「正しさ」や「勇気」といった徳について、「それは何か?」と尋ねる。我々は「正しさ」や「勇気」というものをあまりにも当然のものと考えていて、改めて言葉で説明するように求められると困惑する。対話の相手が手を尽くしてあれこれと答えを示しても、ソクラテスは決して満足しない。結局、対話の相手は「勇気とは何か?」を知らなかったという厳然たる事実に直面する。人生の基本的な知識さえまともに知らないことに気づかされ、大げさに言えば生の基盤を揺り動かされる。対話によって突き落とされるこの幻滅状態は「アポリア」と呼ばれる。

だが、ソクラテスもまた、「勇気とは何か?」という問いについて答えを持っていない。「自分もあなたと同様に知らない」とソクラテスは平然と言ってのける。そうしたソクラテスのことを人々は「エイローネイア(空とぼけ)」(※「アイロニー(皮肉)」の語源)と呼んだ。とはいえ、ソクラテスは決してふざけていたわけではない。ソクラテスがこのような生き方を選択したのは、有名な「アポロンの神託」による。

ある時、ソクラテスの友人カイレフォンがデルフォイのアポロン神殿に赴き、「ソクラテスより知ある者がおりますか?」と尋ねた。アポロンの神託は「ソクラテスより知ある者はおらぬ」というものであった。ソクラテスは神託の内容を疑い、世間で知者と思われる人々、具体的には政治家や詩人、職人たちを訪ねて、彼らの方がより知があることを証明しようとした。しかし、ソクラテスの期待に反して、彼らは善や美といった本当に大切な事柄について知らないか、自分では知っていると思い込んでいた分だけソクラテスより知から遠い状態にあることが判明した。

そこでソクラテスは、神託の謎を次のように解釈した。真に知あるのは神のみである。人間に許されるのは、ソクラテスのように知らないことをその通り知らないと思うことにすぎない。ソクラテスは自らの不知を示すために、そして人々の誤った「思い込み」を取り除くために、神から与えられた使命として対話と吟味の生を送った。

ソクラテスはありとあらゆる「思い込み」を「否定」した。その結果として残るのは、「自分は何も知らない」という「絶対無」の境地である。いや、絶対無なのだから、「何も残らない」と表現する方が正しい。しかし、実のところ絶対無は、神は全てを知っているという「絶対有」とセットである。絶対無のままでは人間はどこにも進むことができない。絶対有を意識することで、人間には可能性が生まれる。ソクラテスは決して、エイローネイアのままその場にうずくまっていたのではない。ソクラテスはエイローネイアから反転して、究極の「善き生」を志向した。

人間が中途半端に知識を持っている状態では、絶対有である神の姿は曇ったまま見えない。人間が絶対無に到達すると初めて、絶対有=神は姿を現す。そして、絶対無と絶対有はコインの裏表の関係であるから、人間が絶対無に至るということは、人間が神になるということに等しい。これは理論としては非常に美しく魅力的である。だが、人間=神という論理の出発点が全体主義を招来することは、前ブログで何度か書いた。

【現代アメリカ企業戦略論(1)】前提としての啓蒙主義、全体主義、社会主義 : free to write WHATEVER I like

現代のアメリカ企業の戦略を論じる前に、時代を3世紀ほど遡りたいと思う。18世紀、西洋では啓蒙主義が花開いた。啓蒙主義とは、一言で言えば人間の理性を絶対視する立場である。一般に、啓蒙主義の下では、宗教は因習的であり、理性を束縛するものとして批判されたと考えられているが、実際にはその逆であり、宗教と理性が固く結びついた。厳密に言えば、唯一絶対の神と人間の理性が結合した。それまでは、宗教は人間の手…

理論としては美しくても、それを現実に適用すると深刻な問題が起きることは往々にしてある。ソクラテスの言葉の運用を誤った例として、政治家クリティアスを挙げることができるだろう。前5世紀末のアテナイ民主政は、ペロポネソス戦争の進行とともに堕落し、デマゴーグ(民衆扇動家)がはびこる危機的状態にあった。アテナイ内部では、政権をつかさどる民主派と寡頭派とが対立を続けていた。前404年、寡頭派はペロポネソス戦争の敗戦を契機として、スパルタの後ろ盾により「三十人政権」と呼ばれる寡頭政権を樹立した。その中心となったのが、プラトンの母親の従兄であるクリティアスであった。

「正義と思慮深さ」という理念を掲げたクリティアスは、最初こそ民主政における腐敗の象徴であった「シュコファンテス(告訴常習者)」を積極的に処刑し、市民の支持を得た。しかし、次第に敵対勢力の静粛や財産没収を強め、やがて一般民や在留外人を巻き込む恐怖政治へと変質した。端的に言えば、クリティアスは全方位的な「否定」によって強力な「支配」を作り出した。前403年、亡命していた民主派勢力がクリティアスを敗死させ、わずか8か月で政権を終わらせた。

プラトンはクリティアスの死から20年後に、『カルミデス』という小編を書いて、クリティアス政治の問題点を分析している。『カルミデス』は、クリティアスと、クリティアスが師事したソクラテスとの架空の対話という形式をとっている。ソクラテスは、クリティアスが政治的理念とした「思慮深さ」とは何なのかとクリティアスに質問する。クリティアスは様々な答えを提示するが、その中に「自らを知ること」という定義があった。

これは「汝自らを知れ」というデルフォイのアポロン神殿に掲げられたモットーを意識したものである。ソクラテスは、大切な事柄について「知らない」ということを「知れ」という意味でとらえた。これに対してクリティアスは、このモットーは神からの勧告ではなく「挨拶」であり、自らを知らない者に対して「自らを知れ」と命令するのではなく、既に自らを知る者に「汝自らを知る者よ」と呼びかけているのだと読み解いた。「自らを知っている者」、すなわち「自己知」がある者は、神から特別に挨拶されるような特権階層にある。よって、一般的な職人たちのように、専門技術知は持つが自己認識を欠く人々の上に立つことが正当化されるというわけである。

クリティアスは自らの回答を、「他の諸々の知の知であり、かつそれ自体の知」と言い換える。「他の諸々の知」とは職人たちが持つ専門技術知のことであり、「知の知」とは自己知のことである。「の」は「~の支配」を意味する属格であり、自己知を持つ者が自己知を欠く者を特権的に支配してよいとするクリティアスの態度が表れている。さらにクリティアスは、ソクラテスの誘導に従って、「知っているものと知らないものを知ること」という答えを提示する。一見すると「不知の自覚」を連想させるこの定義も、ソクラテスの厳しい吟味によって退けられる。

クリティアスはソクラテスの教育を受け、ソクラテスの教えに寄り添っているようでありながら、実際には理解が十分ではなかった。その差は微差であったかもしれないが、微差がもたらした政治的結末は甚だしく破壊的であった。

ソクラテスは「思い込み」の「否定」を通じて「不知」に至ることが「善き生」の入口だと考えた。しかし、実際問題として、我々は自分が知らないことを否定することはできない。単に「それはよく解らない」と言って批判するのは、駄々っ子の仕業である。対話や言葉を通じて、慎重な吟味の末に相手の知を退けるには、こちら側にも一定の知が必要である。「私が自らの知(言葉)を尽くしても、あなたの知は十分に説明できない」と言うことができなければならない。

重要なのは、ソクラテスは相手の知を否定した後に、自らの知もまた否定したことである。それが「空とぼけ(エイローネイア)」と呼ばれる状態であった。お互いに無防備な状態をさらけ出すからこそ、連帯や絆が生まれる。理想的な全体主義とはこのようなものである。ところが、相手の知を否定し、自らは知を保持したままだとすると、相手を奈落の底に落として徹底的に暴力を振るう圧政となる。これが、全体主義が理論としては非常に美しくても、現実の運用でちょっとでもつまずいた瞬間に究極の危険をもたらす所以である。

プラトンはクリティアスの政治についてさらに考察を深め、「思慮深さ」に対するクリティアスの理解は不十分であるものの、その政治には「正しい」面と「正しくない」面の両方があったという結論を得た。「否定」の力を利用してアテナイを恐怖政治に陥れたのは、間違いなく「正しくない」ことであった。一方、初期の段階で、同じ「否定」の力をもって告訴常習者を排斥し、政治的混乱を治めたことは「正しい」ことである。プラトンの関心は、「正しくあり、かつない」という現実をどのように理解すればよいのかということに移った。

プラトンはここで発想の逆転を行う。現実は「正しい」と「正しくない」という両軸の間で揺れ動く。しかし、「正しさ」という絶対的なものが、現実とは離れてどこかに存在する。それをプラトンは「イデア」と呼んだ。イデアという地平を思惟において認めることによって、初めて真の現実が光を放つさまを見て取ることができる。

イデアを見極める哲学の営みは、ソクラテスが人々に問い続けたのと同様に、「正しさとは何か?」、「善とは何か?」という対話から始まる。私たちが慣れ親しむこの世界から正しい物事、正しい行為、正しい人を導き出しても、それらは何らかの点で「正しい」あり方に欠けることが明らかとなり、「正しくあり、かつない」ものとして退けられる。そうした現実を離れて、絶対的な「正しさ」を言葉において認める必要があると言う。

とはいえ、ソクラテスの言う神とプラトンの言うイデアがどのように違うのか、私にはよく解らない。いや、ひょっとしたら、プラトンの方が過激な結末をもたらす恐れがあるのかもしれない。絶対的な「正しさ」の地平から現実を照射する時、「少しでも不確かなこと」は完膚なきまでに「否定」され、知を追いはぎされた者は「正しさ」に徹頭徹尾隷属するしかないとさえ感じる。

プラトンは、哲学の立場からしか「正しさ」は見極められず、政治は可能とはならないと考えた。そして、哲学者が政治を行うか、統治者が哲学を行う以外に、人間を悪から救う道はないといういわゆる「哲人政治」を主張した。これについても、クリティアスが哲学者であったならばアテナイの破滅的な結末は避けられたと述べるのとどの程度異なるのか、私には理解できなかった。

プラトンは著書『国家』の中で「思慮深さ」の意味を掘り下げ、別の方法でクリティアスの失敗を乗り越えようとしている。ポリスにおける「思慮深さ」とは一種の調和であり、支配者と被支配者の間で誰が支配すべきかについてなされる同意や合意である。プラトンの理想国家では、農民、職人、戦士、守護者がそれぞれ市民として「自らのことを為す」という形で正義を実現しており、その全員が支配に関して合意を形成することが「思慮深さ」だとされている。「思慮深さ」はクリティアスが定義したような絶対知ではなく、一種の「意見」にすぎない。

これは、哲人政治というプラトンの究極の理想を現実的な方法に調整したものととらえることもできるだろう。しかし、「思慮深さ」が「意見」である限り、誰が支配者になるかは時と場合によることを示唆する。全員が他の全員を支配するという形態に「合意」することもあり得る。それが本当に「善き生」と言えるのかどうかは、私には判断がつかない。ポリスの成員全員がソクラテス(あるいはプラトン)的な対話を行うことは、理想の上では成立しても、現実には無差別に他者の知を「否定」することになるかもしれない。クリティアスのような一部の人間の誤りがもたらす混乱よりも、もっと深刻な事態を招くかもしれない。

以前の記事「【2018年反省会(21)】「それって必要ですか?」とすぐに聞く社会では教育も子育ても天皇制の維持も無理」で、「頭がよい―悪い」、「頭が強い―弱い」という2軸からなるマトリクスを提示した。「頭がよい―悪い」とは、要素たる知識の記憶力がよいか悪いかを指す。「頭が強い―弱い」とは、要素たる知識同士を因果関係の鎖でつなぎ、長いストーリーを構築する力が強いか弱いかを意味する。

【2018年反省会(21)】「それって必要ですか?」とすぐに聞く社会では教育も子育ても天皇制の維持も無理

【2018年反省会】記事一覧(全26回) 《今回の記事の執筆にあたり参考にした書籍》 遊びの文化論 [ハードカバー] 薗田 碩哉 遊戯社 1996-04 社会にとって趣味とは何か:文化社会学の方法規準 (河出ブックス 103) [単行本(ソ

どんな人でも最初は何の知識もなく、したがって因果関係を形成することができないから、「頭が悪い&弱い」という象限からスタートする。まずは要素たる知識を記憶に蓄積し、その後に要素間をストーリーで結ぶという行為を重ねることで、人間の思考は発達する。よって、理想的なルートは、「頭が悪い&弱い」⇒「頭がよい&弱い」⇒「頭がよい&強い」となる。

しかし、「頭がよい&弱い」の象限において、さらに要素たる知識を大量に詰め込むと、知識が覚え切れなくなり、頭の悪さを自覚するようになる。つまり、「頭がよい&弱い」から再び「頭が悪い&弱い」に転落する。ここに至って自らの知識の意味を深く問い、自分が本当に理解できたと信用できる知識のみを慎重につなぎ合わせて物語を編集することができれば、「頭が悪い&弱い」⇒「頭が悪い&強い」へと移行する。「存在」、「認識」、「知覚」といった基本的な事柄について徹底的に考え抜く哲学者の営みがこれに該当する。

とはいえ、誰しもが哲学者のように強く考えることが可能なわけではない。「頭が悪い&弱い」という象限に転落した際、自分は本当に知っていることは何かを検証したところ、完全に理解している事柄などないではないかとの結論に至り、「よく解らない」ことは「全く解らない」ことに等しいと、あらゆる知識を「否定」するという誘惑にかられる。「否定」の力が自分だけではなく他者に向けられた時、それはソクラテス的対話の誤った運用となる危険性が高く、したがって破壊的な全体主義に陥る恐れがある。

「頭が悪い&弱い」という象限に逆戻りした段階で、哲学者のように「頭が悪い&強い」という象限に移行できる可能性が低いとすれば、手持ちの知識の中から手っ取り早く使えそうなものを選択的に組み合わせて、簡易な解を導くという別の方法がある。知識量を減らして「頭がよい&弱い」という象限に戻り、因果関係のチェーンの生成を通じて「頭がよい&強い」という象限に至る。これによって、前述した理想のルートに回帰することが可能である。我々はこれをイノベーションと呼ぶのだろう。イノベーションとは、既存の概念、それも意外な概念同士を組み合わせて、新たなストーリーを紡ぐ所作である。そして、ストーリーはシンプルであるほど万人受けしやすい。ところが、困ったことに、日本人はイノベーションが得意ではない。

日本は教育環境こそ整っているものの、考える力を養うという点で弱みがある。そのため、「頭がよい&弱い」人間を大量に育成してしまう。そこに、昨今の情報技術の発達によって知識量ばかりが増えているため、多くの日本人は「頭が悪い&弱い」という象限にはまり込んでいる。多様な意見が存在する社会は民主主義の成熟を表していると評されるが、少しでも自分に理解できない他者がいると、「否定」によって攻撃を加える不寛容な社会でもある。そして、あらゆる人が「否定」という力を行使する社会は、全体主義への道を進み始めている。

我々は大正時代に大正デモクラシーが起こり、民主主義が成熟した後に全体主義へと傾いた歴史を思い出さなければならない。当時の日本は、「国粋主義」という、それを唱えている人ですら中身が全く解っていなかった絶対無にひれ伏していたのである。とはいえ、「頭が悪い&弱い」という象限に転落した日本人にとって、哲学者のようにしぶとく考えることも、アメリカ人のようにイノベーションを起こすことも難しいならば、他にどんな方法によって全体主義の奈落を回避できるのか、私にはまだアイデアがない。

ソクラテスがデルフォイのアポロン神殿の神託を受けたのは37歳の時であり、私の年齢と近い。30代後半から40歳にかけてというのは、自分の知と向き合うきっかけが訪れる年代なのかもしれない。私は私の頭の中で散らかっている知について、安易な「否定」に頼ることなく、つまり自分自身を全体主義的に支配して破滅させることなく、知を穏便に再構築する方策を見つけ出さなければならない。そして、自らに向けた寛容さと同程度、いやそれ以上の寛容さをもって他者の知識を包摂し、同時に他者の知識に包摂されることを許し、「頭が悪い&弱い」という象限から抜け出す方策を何とか考案したいものである。