【2018年反省会(5)】なぜか「就労移行支援事業所」でアルバイトをしようと思っていた
- 2019.01.27
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【2018年反省会】記事一覧(全26回)
3月末に退院してから、4~6月の間に何をしていたのか、実はあまりよく覚えていない。当時の日記を見てもほとんど白紙である。ただ、たまたま2月末に終了する案件が重なっており、一から案件を開拓しなければならない時期であった。
X社の仕事だけは、続けようと思えば続けることができた。収録は全て終わっていたものの、試験の内容は毎年少しずつ変わる。そのため、動画を修正しなければならない。とりわけ、中小企業診断士の「中小企業経営・中小企業政策」という科目は、毎年の中小企業白書をベースにしていることに加え、政策も年々変化していくことから、ほぼ全部を撮り直す必要があった。また、入院前にX社からは、受講者から届く質問に対して回答する仕事をお願いしたいと打診されたことがあった。しかし、提示された金額は、1回の対応につき500円であった。いつ来るか解らない受講者からの質問に対し、迅速に返答する仕事が1回あたり500円ではさすがにやっていられない。くだんのレジュメの報酬の件もあって、X社との契約は2月末で解除していた。
本当は3月に案件の新規開拓をしなければならなかったのだが、1か月間入院してしまったため、4月には余計に焦りを感じていた。X社に先行投資していた分が回収できなかったこともあり、私の貯蓄はほとんど消えていた。まず、生活費を下げるために引っ越しをした。実を言うと、2014年にも生活費を下げるために引っ越しをしている。今回の引っ越しによって、家賃は私が就職して東京に出てきた当時と変わらない水準にまで下がった。
ここで、どういうわけか、生活の基盤を作るためにアルバイトをしようと思い立った。私が精神疾患を抱えており、自分なら同じように精神疾患を持っている人の気持ちが理解できるだろうと勝手に考えて、就労移行支援事業所での仕事を探し始めた。就労移行支援とは、一般企業への就職が可能と見込まれる18~65歳未満の障害者を対象とした支援制度である。支援対象の障害者でかつ就職を希望する人は、一定の訓練を受けた後に就職に取り組む。解りやすい例で言うと、職場でうつ病を発症し、長期の休職を経て退職した人が、次の就職先を探すために様々なプログラムやサポートを受けることのできる福祉サービスである。
長期休職をしていた人は、生活のリズムが整っていないことが多い。うつ病の人の中には、昼夜が逆転している人もいる。だから、最初は朝決まった時間に事業所に来て、事業所内で何かしらの作業(最初はネットサーフィンでもよい。とにかく、日中寝ないことが重要である)をしながら時間を過ごし、事業所が定めた時間に帰宅するというパターンを繰り返す。これは、就職した後、定時に出社し、定時に退社するための練習である。生活のリズムが整ってくると、就職に必要な能力を身につけるための訓練を受ける。訓練内容は、ビジネスマナー、パソコンのスキル、コミュニケーションスキルなどである。訓練が進み、本人が就職の意思を固めると、就職活動が始まる。事業所は、障害者の自己分析を支援したり、履歴書を添削したり、疑似面接を実施したりする。事業所は日頃から、障害者を受け入れてくれる企業を開拓している。
就労移行支援事業所は訓練機関であるため、事業所と障害者との間に雇用契約はない。逆に、年収などを基準にした利用料金を支払わなければならない(詳しくはこちらを参照)。ただし、職場実習などを行った場合には、工賃が支払われることがある。工賃は雇用契約に基づいて支払われる給与とは異なり、最低賃金を大幅に下回ることが多い。
私は、研修やセミナーの講師の経験があるから、パソコンのスキルやコミュニケーションスキルを教えるトレーナーであればできるだろうと考え、色々な事業所の求人に応募してみた。ただ、就労移行支援事業所に限らず、大半の福祉関係の施設はフルタイムの正社員(正職員)を求めている。私は本業である中小企業診断士の仕事は継続したかったので、週2~3日程度のアルバイトでお願いできないかと無理な注文を出していた。いくつかの事業所は理解を示してくれたものの、最終的に採用に至ったところはなかった。
今となれば、この時に採用されなくてよかったと思う。自分なら同じように精神疾患を持つ人の事情がよく解ると考えていたものの、実際にはそんなに甘くない。もちろん、精神障害者の中には、他の精神障害者の支援が上手な人もいる。精神科の中には、患者同士が集まって自分の悩みを共有するというプログラムがある。自分の疾患をオープンにすると同時に、他人の話にも共感し、相互理解を通じて自分の気持ちを和らげるのが目的である。確かに、こうしたプログラムを積極的にリードできる患者はいる。だが、私はそのようなプログラムに参加したことがない。自分は治療の目的で病院に来ているのに、なぜ他人の悩みにまで耳を傾けなければならないのかと思っていたからである。実際、3月に入院していた病院では、他の患者同士がよく談笑していたのに対し、私は自分から患者と交流することはほとんどなかった。
私に限らず、精神障害者が他の精神障害者のことを理解できるとは限らない。以前に入院していた病院では、デイルームで2人の女性がこんな会話をしているのを耳にしたことがある。1人は摂食障害と思われる人で、もう1人はうつ病と思われる人である。
「私はご飯が食べられないんですよね。スプーンですくって口元まで持っていくんですけど、そこから口の中に入れることがどうしてもできないんです」
「えーっ?ご飯を食べるのなんて簡単じゃないですか?口元までご飯を持ってきたのなら、後はそれをひょいと口の中に放り込めばいいんですよ。口の中に入れてしまえば、ご飯は勝手に溶けていきますから。私の場合は、夜どうしても寝られないんですよね。眼が冴えてしまって朝まで起きているんです。でも、病院の夜は何もすることがなくて退屈ですね」
「えーっ?夜寝るのなんて簡単じゃないですか?布団をかぶってじっとしていればいいんですよ。それに、昼に病院の中を歩き回れば身体が疲れるから、夜は勝手に眠くなりますよ」
2人は口裏を合わせたように「信じられなーい」と声を揃えていた。この2人は仲良しのようだからよかったものの、お互いの無理解が差別につながる可能性もある。一般には、健常者が障害者を差別すると考えられている。だが、私から見ると、健常者が障害者を差別すること以上に、障害者が他の障害者を差別することの方が、問題は深刻であると感じる。
「平成30年度 障害者白書」によると、精神障害者の数は392万4,000人である(白書では身体障害者、知的障害者の数も公表されている。ただし、身体・知的障害者については障害者手帳の保有者数をカウントしているのに対し、精神障害者に関しては病院・診療所に通院している人のうち、その症状からして精神障害者と判断される人をカウントしているという違いがある。統計上の精神障害者が障害者手帳を保有しているとは限らない点に注意が必要である)。人口に占める精神障害者の割合は約3%である。健常者の割合と精神障害者の割合で円グラフを作成すれば、精神障害者の割合はおそらく「その他」に分類されるほどに低い。
しかし、わずか3%しかいない「その他」の中には、実に様々なタイプの精神障害者が含まれている。同じ病名でも、人によって症状が全く異なることもある。「その他」というふうに1つのラベルを貼ってしまえばあたかも1つのマイナーなカテゴリーのように見えるが、マイノリティこそ多様なのである。例えば顧客アンケートを実施し、顧客の声を分類して円グラフを作成した場合、最後の数パーセントには「その他」という名前がつくだろう。だが、「その他」というカテゴリーに入っているから皆同じ意見であるわけではないことは容易に想像がつく。どのカテゴリーにも分類できない細かい意見ばかりで、名前をつけようがないから「その他」と扱われているにすぎない。だから、その中身をつぶさに観察すれば、てんでバラバラな意見であることに気づく。
顧客アンケートの場合は、「その他」というカテゴリーが存在するという話で終わるだろう。しかし、障害者というマイノリティとなれば話が違ってくる。一般に、マイノリティはその存在を社会に認めてもらいたいと思っている。とはいえ、マイノリティはあまりに多様であるため、必ずしも一枚岩ではない。「私はあの人と違う。私とあの人を一緒にしてほしくない。私を先に認めてほしい」という感情が渦巻く。例えば、障害者雇用をめぐって、「自分のような疾患を持つ人の方が仕事ができる。だから自分たちを優先的に雇用すべきだ」と主張する人が現れるかもしれない。こうなると、マイノリティの間で足の引っ張り合いが生じる。
私は、性的マイノリティのことをほとんど理解していない。当初はLGBTと呼ばれていたのにQ(ジェンダークィア)が加わり、Facebookも58種類もの性別を用意しているから、性的マイノリティはかなり多様なのだろう。彼らがどのようなパートナーシップのあり方を望んでいるかはバラバラであるに違いない。そして、自分のパートナーシップを認めてほしいと我先に主張し、結果として他の性的マイノリティを差別するという実態があるのではないかと推測する。
私は精神疾患の治療歴が長いし、その間に様々な精神疾患を持つ人を見てきたつもりであるから、精神障害者のことは理解したいと思っている。しかし、それは表面的なことであって、心の底では他の精神障害者の内面に深く介入することを無意識に回避しようとしているのかもしれない。そのような人間が就労移行支援事業所で仕事をしたところで、満足なパフォーマンスは上げられなかったであろう。障害者が他の障害者を差別するという深刻な問題に加担する可能性があったわけである。だから、どの事業所にも採用されなくてよかったと感じる。
《2019年5月2日追記》
日本の相対的貧困率は15.6%(2015年、熊本県を除く)であり、日本人の約7人に1人は貧困層に入る。もっとも、貧困層=マイノリティという単純な図式は成立しないであろう。”相対的”貧困率という言葉からも解るように、どこからを貧困層として扱うか、その線引きによって貧困率の割合は変動する。線引きによって割合が変わる点は富裕層も同様である。野村総合研究所は富裕層に関するデータを公開しており、1億円以上5億円未満の純金融資産を持つ世帯を富裕層と定義している。2017年の富裕層は118万3,000世帯であった。この年の世帯総数は約5,747万世帯(『住民基本台帳に基づく人口、人口動態及び世帯数調査』2017年)であるから、富裕層の割合は2.1%となる。数値だけを見ると、富裕層の方がマイノリティになってしまう。
数字遊びはさておき、唐鎌直義『ここまで進んだ!格差と貧困』(新日本出版社、2016年)では、貧困層の中にも様々なタイプがあると指摘されている。
貧困は子どもだけではなく、高齢者の貧困、女性の貧困、障害者の貧困などもあるわけです。貧困には何種類もあり、どちらの貧困がより大変かという議論になってしまうと、問題が分断されて、それぞれにかかわっている人が対立させられることになりかねないのです。対立と分断をつくり出すことは、為政者の基本戦略です。同じ貧困問題として、どう広げて考えるのかと考えないと、いずれ運動側、取り組みの側が分断されることになってしまうと思います。
貧困層のタイプを同じ土俵、価値基準で比較して優先順位をつけるのではなく、その固有性に応じた支援を行うべきだという主張には賛同する。ただ、「対立と分断をつくり出すことは、為政者の基本戦略です」という表現には、弱者によくある被害者意識がにじみ出ている。
同書では、政府に対して「仕事を作れ」とデモ活動を行う失業者の様子も取り上げられている。実は、政府が仕事を作り出すのは簡単である。元々日本は諸外国に比べて公務員の割合が非常に低い。そこで、政府や地方自治体が国債なり地方債なりを発行して人件費の予算を増やせば、マックス・ウェーバーが指摘したような官僚組織の特性からして、容易に仕事は膨らんでいく。行政が仕事を増やした場合に、失業者は文句なくその仕事に就くだろうか?「自分がやりたい仕事ではない」などと身勝手な言い訳をしないだろうか?
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