【2018年反省会(22)】小国の国防には桜田大臣のようなシステムエラーを起こした人間が必要
- 2019.04.02
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【2018年反省会】記事一覧(全26回)
《今回の記事の執筆にあたり参考にした書籍》
旧約聖書によると、ノアの3人の息子であるセム、ハム、ヤペテが全ての民族の起源とされている。セム系民族は中近東に、ハム系民族アフリカ大陸や中近東、パレスチナ、シリア、トルコ、東南アジア、ニューギニア、オーストラリアなどに、ヤペテ系民族はヨーロッパやロシア、インドなどに移り住んだんと言われる。セム系民族は物事を「二項対立」の構図でとらえる傾向があると指摘したのは山本七平であった。私は山本七平の着眼点を借用しながら、しばしば本ブログでは大国が二項対立的な発想をすると書いてきた。
西洋人は狩猟民族だから個人主義、東洋人は農耕民族だから集団主義という二分法は、大雑把すぎると感じる。食生活に注目して民族の価値観をもう少し突っ込んで考察するならば、次のような考え方が成り立つかもしれない。まず、中近東は遊牧民族である。ただし、遊牧文化は中近東に限ったものではなく、ヨーロッパやアジアでも見られるものである。中近東の民族はセム系民族と重なるため、遊牧民族は二項対立的な発想をすると言えそうである。二項”対立”と称するぐらいだから、対立する相手への攻撃は非常に激しい。
次に農耕文化であるが、農耕文化には麦作文化と水稲文化がある。麦作文化はヨーロッパと中国の南部に広がる。まだ十分に分析できていないが、麦作文化は強い理想主義を生み出す可能性がある。ヨーロッパがラテン語で言語の規範を作り、キリスト教で宗教の規範を作り、啓蒙主義で理性の規範を作るのは理想主義の表れである。また、中国には天という思想的基底がある。中国の歴史とは、儒教をどうすれば理想主義にまで高めることができるかを思索し続けた歴史である。別の言い方をすれば、天とは何かを徹底的に追求した歴史である。
水稲文化は中国南部から東南アジア、そして日本に分布している。水稲文化の特徴は、あまり物事を突き詰めない点にある。天候という外部要因に任せて、じっくりと栽培するという作法が影響しているのかもしれない。善と悪、自と他、主体と客体、人間と自然、生と死などといった対立から概念を組み立てるのが得意ではない。よく言えば、対立概念を立てなくても、総合的に物事を何となく把握することができるということでもある。3つの文化がなぜこのような思考的傾向を生むのか、その育成方法をよく研究する必要がありそうである。
中近東は遊牧文化であり、中国南部から東南アジアは水稲文化である。ヨーロッパは遊牧文化と麦作文化が重なっている。最も複雑なのが中国で、遊牧文化、水稲文化、麦作文化の3つが重なり合っている。遊牧文化と麦作文化の両方を持つヨーロッパと中国は、二項対立的な発想に理想主義が重なるため、対立が絶えない。以前の記事「【2018年反省会(18)】「多様性社会」とは「総差別社会」である(1)|(2)」で書いたように、対立する二項の双方が自らこそ理想=標準だと主張し、さらに多様化による総差別化(多項対立)へと発展することが多い。
ところが、ヨーロッパ人は二項対立やその後の多項対立を引き起こした原因である理想主義=標準化によって、再び新たなヨーロッパ秩序を生み出すことに長けている。各国が敵味方入り乱れて血みどろの抗争を繰り広げながらも、やがては上手に同盟関係を結んで均衡を達成する。中国の場合は、多様化した後に、麦作文化の理想主義に加えて水稲文化のもついい加減さ、中国の言葉を借りれば中庸が重なることで、対立を収めることができるようである。山本七平は二項対立的な発想のメリットを挙げ、それができない日本のことを批判したのだが、私には中近東で争いが絶えない理由を説明できないと思った。しかし、食文化に注目すると、実は遊牧文化だけでは二項対立を乗り越えられない可能性が浮上してくる。
他方で、以前の記事「イザヤ・ベンダサン(山本七平)『日本人と中国人』―「南京を総攻撃するも中国に土下座するも同じ」、他 」で書いた内容は、もう少し腑に落ちるところがあった。明治維新後の日本には、西洋の文化が一気に流入した。「東洋道徳、西洋芸術」という言葉があったが、日本が西洋の技術だけを吸収したというのは正確ではない。というのも、西周らが西洋哲学の翻訳に苦心したように、思想らしい思想がなかった日本に強い影響を与えた西洋精神も同時に日本に入ったからだ。この時に日本は西洋流の二項対立を学んだ。
しかし、長年の水稲文化を通じて醸成された曖昧な思考に二項対立の発想を接続するのは困難であった。具体的に言えば、対立を乗り越える能力が身につかなかった。二項対立によって理想と現実が分離しても、両者を縫合するさらなる理想化を行うことができなかった。そのため、中国の王朝を理想として、絶対的権力を有する天皇を頂点とした秩序の強化を志向した日本が中国に理想を見出せないと解った時に、日本こそが理想を体現していると自負して自らの理想を中国に押しつけようとしたのが南京大虐殺であり、逆に日本が理想の実現を諦めて中国の現実にひれ伏したのが戦後の土下座外交であるとイザヤ・ベンダサン(=山本七平)は読み解いた。どうやら、対立を克服するカギは麦作文化にありそうである。なぜ麦作文化は様々な対立を包摂する標準化に成功するのか、今後も考察を続けてみたい。
現在の大国はアメリカ、ドイツ、ロシア、中国の4か国であると私は理解している。いずれの国も、二項対立と理想主義の両方を合わせ持つ国である。私が本ブログで何度か試みた、現代国際政治における二項対立の構図の整理を、今一度試してみようと思う。国際政治の舞台では、アメリカ、ドイツがロシア、中国と対立している(二項間だけでなく、それぞれの項の内部でも対立は起きる。つまり、アメリカとドイツ、ロシアと中国の間でも対立がある。だが、今回の記事ではこれらの対立についてはひとまず脇に置いておく)。しかし、二項対立している双方の陣営は、本当に直接対決すると甚大な被害を被るため、巧妙に衝突を避ける。
アメリカと中国の対立を例に挙げると、アメリカの内部でも二項対立は見られ、反中派と親中派に分かれている。中国の国内も同様に、反米派と親米派に分かれる。アメリカの反中派と中国の反米派は、見かけ上は激しく対立する。ところが、アメリカの親中派と中国の親米派が実は裏でつながっており、アメリカの反中派から持ち出したアメリカの情報を中国の親米派に、中国の反米派から持ち出した中国の情報をアメリカの親中派に渡している。
ここで言う情報とは、国家の政治、経済、国防に関する情報である。情報には、伝達しやすい(換言すれば、機密性が低い)ものから順番に、①通信インフラ上で流通している情報、②印刷出版物として出回っている情報、③重要人物が知っている情報、④公にはされておらず国内で保管されている文書情報の4種類がある。大国は人的資源が豊富であるから、相手国に大量の人員を送り込めば、④のような情報でも入手可能である。中国からは大量の留学生がアメリカに渡り、アメリカからは大量の企業が中国に流入している。米ロ冷戦の時代にはスパイという手段に頼っていたものの、米中の場合は人材交流が盛んであるため、放っておいても勝手に情報が交換される。情報が対称に近づけば、相手国を攻撃するのは困難になる。
私の入院中に、中国のファーウェイ社のスマートフォンをアメリカが国防上の理由から排除するという報道があった。だが、いくら中国のインターネットが世界から遮断されていると言っても、両国の技術力と人海戦術をもってすれば、お互いのネットワークに侵入することはおそらく容易であろうし、既に双方の通信インフラ上の情報は相手に抜け漏れていると思われる。だから、今さらファーウェイを排除したところで、中国に渡る情報が多少減る程度の影響しかないに違いない。米中の対立はプロレスに似たところがある。貿易戦争にしても、アメリカが中国製品に関税をかければ、中国に進出している多数のアメリカ企業の首を絞める。だから、トランプ大統領は中国の息の根を止めるほどの関税をかけることができない。
大国は、お互いに直接衝突できないストレスを小国に向ける。小国が大国に刃向かってくれると、大国にとっては絶好のチャンスとなる。大国は、前述の通り対立している他の大国の情報は入手済みである。一方で、世界中に散らばっている小国の情報は隅々まで把握できるわけではない。一般に、相手国のことをよく知らない場合、攻撃はためらわれる。しかし、大国の軍事力をもってすれば、小国に関する情報が不足していても、力でねじ伏せることができる。イラク戦争を見るとそのことがよく解る。ミサイルを連発する北朝鮮は、本当にアメリカを攻撃するとアメリカに潰されることを知っているから、絶対にアメリカには当てない。彼らにとって核ミサイルは、韓国から米軍を追い出し、南北統一を達成するための外交カードである。
国内政治が分裂し、情勢が不安定になっている国も、大国のターゲットとなる。反政府軍にアメリカが、政府軍にロシアがつくといった具合だ。この場合、小国を舞台にした大国同士の対立は長期化する傾向がある。ベトナム戦争は20年続いたし、朝鮮戦争に至っては未だに集結していない。対立が泥沼化する分だけ、大国でも疲弊することがある。アフガニスタンは結局アメリカもロシアも陥落させることができなかった。仮に大国のどちらかが小国を取ったとしても、大国同士の対立によって荒廃した小国を再建させるのは至難の業である。シリア内戦はロシア側の勝利に終わりそうだが、ロシアは今後シリアの再建に手を焼くだろう。
実は、大国が単独で小国1国を攻撃することも、本当は回避したい。イラク戦争は一瞬で終結したものの、その後の再建にアメリカはかなり苦戦している。シリア内戦中に、トルコがロシアの戦闘機を爆撃するという事件が起きた。普通であれば、大国ロシアに刃向かった小国トルコは、あっという間にロシアにひねり潰されていただろう。だが、シリア内戦という複雑な状況の最中でトルコを潰せば、かなり厄介なことになると感づいていたロシアは、トルコに手を出さなかった。それに、当時のトルコには、ロシアが戦略的に利用するだけの価値があった。
トルコにはPKK(クルド労働者党)という、トルコがテロ指定している組織がある。アメリカは、PKKの姉妹政党であるPYD(クルド民主統一党)が有するYPG(クルド人民防衛隊)を使って政府軍を攻撃しようとした。トルコにしてみれば、味方であるはずのアメリカが自国への反対勢力を利用しているのだから、面白いはずはない。実際、YPGがトルコの東側国境に近づくと強い緊張が生まれた。ロシアはアメリカとトルコの緊張を利用して、トルコをアメリカから離反させるために、敢えて爆撃の件を棚上げにしたわけである。その後シリアの戦後処理を協議するジュネーブ会議は、アメリカがほとんど関与できなくなりロシアが主導するようになったのに、ロシア側についているイランと並んで、ちゃっかりとトルコが参加している。
大国同士が直接対決せず、かつ大国に甚大な被害をもたらさない方法は、小国同士に代理戦争をさせることである。大国PとQがそれぞれ小国xとyを抱えていたとする。PとQは直接対決せず、x対yという図式に持ち込みたい。仮にPがxと対立するyのことを直接はよく知らなくても、二項対立するQとの関係を通じて、yの①~③(前述)ぐらいの情報は知っている。同様に、QもPとの関係を通じて、xの①~③ぐらいの情報は入手済みである。Pは自国側のxについて知っているほどにはyのことを知らない。Qも自国側のyについて知っているほどにはxのことを知らない。ただし、この程度の情報の非対称であれば、自国の軍事力を補完することで攻撃してもよいと判断する。こうして、xとyの間で代理戦争が勃発する。小国の中に大国が自ら乗り込んでいく必要性が低い代理戦争は、大国にとって都合がよい。
他方、代理戦争に巻き込まれる小国は迷惑千万である。だから、小国は代理戦争を回避する方法を持つ必要がある。大国の二項対立に関して、情報が対称に近づけば衝突を避けようとする心理が働くと書いた。これは両者の規模が似ているためである(一方の規模が他方よりも大きいと、他方の情報が不十分でも、規模の力を活かして攻撃できる)。小国同士も規模が似ているから、情報を対称に近づけることが衝突を無効化する近道となる。大国は小国の①~③の情報に基づいて戦略を立て、小国を遠隔操作する。ここで、小国同士が④の情報をお互いに交換すれば、小国の間で情報が対称に近づく。大国が小国の④を入手することは手間の問題から優先されないのに対し、小国は地理的に近い相手の④を入手できるかもしれない。
相手の小国と④を交換できる関係にあることは、味方になっている大国が裏切った場合にも有効となる。現在、韓国の左傾化が進んでいるため、韓国側に中国がつき、日本側には従来通りアメリカがついているという状況を想定してみる。二項対立の構図に忠実な米中は、日韓に代理戦争をさせようとする。曲がりなりにも同じアメリカの同盟国であった日韓が④を交換できる関係にあれば、ひとまず代理戦争は回避できる。問題は、アメリカが日本を裏切って、米中韓の3国で日本を攻めてきた場合である。日本に点在している米軍基地が寝返ったら大変である。アメリカが日本を裏切ることなどないだろうと高を括っていると痛い目に遭う。
日本の近現代史を振り返ると、日本は何度も同盟を裏切られている。明治時代に、日本はイギリスと同盟を結んでいた。中国で辛亥革命が起きると、日本はイギリスが清王朝側につくと期待した。ところが、イギリスが孫文側に回ったため、清王朝は解体された。そこに西欧列強が雪崩れ込んできて、日本も対抗せざるを得なくなった。その後、第2次世界大戦ではドイツと同盟を結んだ。日独の共通の敵はロシアであったが、ドイツがヨーロッパでの戦争に集中するためと言って、独ソ不可侵条約を締結してしまった。ロシアは東方の戦いに注力することができ、日本が日中戦争で苦戦する原因となった。そのドイツは、ヨーロッパでの戦局が苦しくなったタイミングで、今度はロシアを侵攻した。弱体化していたドイツがロシアにかなうはずもなく、日本は頼るべき国を失った。平沼騏一郎は「欧州情勢は複雑怪奇なり」という言葉を残したが、複雑なのは欧州だけではないし、世界情勢はいつだって複雑怪奇である。
アメリカが寝返った場合、日韓に機密性の高い④を交換できる関係が残っていれば、米中韓の足並みを崩すことができる。④はネットワークからは切り離されているため、皮肉な見方をすれば、イギリス誌が「システムエラー」と揶揄した桜田義孝大臣(東京オリンピック・パラリンピック競技大会担当)のような人物の方が取り扱いに向いている。その人の行動範囲が非常に狭く、隣国ぐらいには出向くが、アメリカとはほぼ接触しないタイプならばより望ましい。
韓国側にも桜田大臣のような人物がいて、米中がほとんど認識していない韓国の④が日本に渡ったら、米中は戦いを進めづらくなる。戦局を有利に進めるための定石は、相手の陣営を分裂させることである。逆に、自陣営が分裂すると自滅する。またしてもシリア戦争を引き合いに出すと、シリア戦争はシーア派とスンニ派、テロ組織と反テロ組織の戦いだとされる。しかし、実際にはもう少し複雑である。アメリカが支援していた反政府軍の中には、反テロ組織とテロ組織が混じっていた。アメリカは反テロ組織だけに資金や武器を渡していたのに、同じスンニ派である反テロ組織とテロ組織の関係は緊密で、アメリカの資源がヌスラ戦線などに流れていた。アメリカは自分で味方を分裂させてしまい、ロシアに十分対抗できなくなった。
ここで、日本と韓国が大国に利用されてもなお④のような情報を交換し合えるような関係であるためにはどうすればよいかが問題になる。日本と韓国の歴史的結びつきは深い。中国大陸で発達した稲作は朝鮮半島を通じて日本に伝わったと言われる。漢字や儒教も百済を通じて日本に流入した。日本の建国神話には朝鮮半島の建国神話と似たところがあるらしい。大和朝廷は、南朝鮮から西日本にかけての政権が日本を統一してできた政権であり、政権が最初から日本に存在したことにするために、朝鮮半島と共有する建国神話を基礎としつつ、あたかも皇祖神が日本固有の神々であったかのように記述したと指摘する研究者もいる。
朝鮮(特に韓国)を毛嫌いする右派は、朝鮮半島では日本の弥生時代以前に稲作を行った形跡が見られないから、稲作は日本から朝鮮へと伝わったとか、計算上は古代中国王朝よりも古くから存在したことになる檀君の神話を持つような朝鮮半島の神話はいい加減で、日本の建国神話も適当にパクったものだなどと批判する。『新羅本紀』について、新羅の2代王の前半の時代から、脱解という倭人(正確に言えば、倭国に住む人が倭人であるため、倭国以外に住んでいた倭人は倭種と呼ばれる)が大輔として国政・軍事を司っており、脱解がそのまま4代王となったことを挙げて、新羅は日本人が統治する国であったと解釈する論者もいる。
日本と朝鮮半島のどちらの支配力が上であったのかは私などには解らないが、少なくとも文化的には朝鮮半島の方が”先輩”だろう。稲作にしても、航海技術が発達していない古代に、中国南部から沖縄に伝わり、沖縄から北上したとは考えにくい。やはり地理的に最も近い南朝鮮から西日本に伝ったととらえるのが自然である。文化的に先輩である朝鮮半島が、後輩である日本にたびたび攻撃されたのが韓国人には我慢ならない。4世紀には倭の五王による攻撃を受け、戦国時代には豊臣秀吉による朝鮮出兵を受け、近代には日韓併合を経験した。日韓併合は当時の国際法的に照らし合わせれば合法であると日本人は言うものの、法的には問題がなくても心理的には認められないことが世の中に多数あると日本人もよく知っている。
韓国海軍の駆逐艦が日本の海上自衛隊の哨戒機に火器管制レーダーを照射したり、最終的かつ不可逆的に解決されたはずの慰安婦問題を蒸し返したり、慰安婦問題だけでは腹の虫が収まらないとなると徴用工問題を持ち出して損害賠償を請求したりするのは、日本に虐げられたと思っている韓国の強烈な反発心の表れである。朝鮮半島は日本だけでなく、いや日本よりはるかに激しく、中国からも侵略を受けた。一般に、侵略を何度も経験した民族は、絶対に自分からは謝らない。謝ったら負けを認めたことになり、相手から何を請求されるか解らないからだ。侵略したりされたりの繰り返しであったヨーロッパ人も絶対に謝らない。日本人がすぐに「すみません」と頭を下げるのは、侵略された歴史がほとんどないためである。他方、韓国が頑なに誤らず、逆に謝罪を要求するのは、歴史的な背景が影響している。
韓国の行為は暴力的であり、文化的に兄である韓国が弟である日本を激しく攻撃している。これは一種の家庭内暴力と呼んでよいだろう。以前の記事「【2018年反省会(16)】精神科医とのつき合い方を学ぼう、自分に合った支援者を見つけよう」で書いたように、家族内の問題であれば、最悪の場合家族との関係を断ち切るという選択肢もあり得る。ところが、韓国は100年経っても日本の隣にあるため、日本は逃げることができない。だから、対応を誤ると「共依存」に陥る。嫌だ嫌だと言いながらも韓国の世話をすることに日本が自らの存在意義を見出し、日本を支配しようとする韓国の懐に自分で飛び込んでしまうという関係である。
斎藤学『依存と虐待』には、共依存に陥りやすい人の特徴が18ほど列挙されている。その中には、「自らを犠牲にして他人を助けたり、世話したりする(無意識のうちに、自分が相手にとって必要となったり、ありがたがられる、などの報酬を期待している)」、「コミュニケーションの技術に欠ける(自己をはっきり表現することができなかったり、「いいえ、できません」とはっきり断ることができなかったり、他人のことばかり話したりする)」、「被害者意識にとらわれる(自分は犠牲者だと思い込み、相手のせいにして愚痴を言う)」、「建前的な理想論や道徳論にとらわれる(「相手はこうすべきだ」「~するのが普通だ」などと、社会の掟やファンタジー〔空想〕にとらわれる)」などとあり、まさに日本のことを言い当てているように感じた。
家庭内暴力に関する書籍を読んでいると、家庭内暴力の原因は親にあるから、まずは親が自らの過ちを認めることだと書いてあることが多い(家庭内暴力に限らず、精神疾患の治療全般に関しても同様である)。また、いくら本人の精神状態が不安定であるとしても、暴力だけは法律に反する行為であるから親が毅然とした態度で対応しなければならないと忠告する人もいる。法律の問題以前に、社会のルールや道徳についての認識が欠如しているから、しつけをやり直す必要があると強調する人もいる。確かに、家庭内暴力を振るう人は、「お前のせいでこうなった、謝れ」と要求する傾向がある。しかし、要求通りに謝ったとしても、「今さら謝っても遅い」と切り捨てられるのは目に見えている。相手が本当に求めているのは謝罪ではない。韓国人に会うたびにごめんなさいと頭を下げているという内田樹氏の作戦は成功しないだろう。
暴力はダメだと抑止したり、しつけを一からやり直したりすれば収まるというのは、国民に「殺人はダメだ」とメッセージを送り続ければ社会から殺人がなくなると言っているのに等しい。家庭内暴力を起こす人は、暴力がダメであることは解っているし、常識や道徳に対する理解もあるに違いない。規範に反していると知っているのに逸脱してしまう実態に注目する必要がある。韓国の一連の言動は国際法違反だと日本は批判するものの、曲がりなりにも国際社会の一員であり一定の経済力を持つ韓国が、国際法に関して無知であるとは考えにくい。
謝罪することも暴力を止めることも無効であるならば、相手が予想していない変化球を投げてみる。それは敢えて「ありがとう」と言うことではないかと思う。文化的に先輩である韓国(と北朝鮮)に対し、優れた文化を日本に伝達してくれたことへの謝意を示す。
私はかつて、なぜ朝鮮半島が文字を日本に教えてくれたのか不思議に思ったことがあった。というのも、言葉を統一することは、相手国を征服するための重要な手段であるからだ。だから、朝鮮半島には日本を支配する意図があったかもしれないと推測した。しかし、古代から朝鮮半島、特に南朝鮮と西日本は統一的な文化圏を形成しており、朝鮮人と日本人が相互に頻繁に行き来していたのであれば、単純に文化伝播の一形態として漢字が伝わったと考えるべきなのかもしれない。朝鮮半島からは漢字が消えてしまったのに、日本では依然として漢字が生きている。漢字なしに日本の文化は成立しなかった。そして、漢字がなければ儒教を受容できず、日本的道徳が育たなかった。日本の精神基盤を作ってくれたことに感謝する。
共依存に陥っている人は、(多くの精神障害者と同様に)自分の感情を素直に表現するのが苦手である。相手に献身的に奉仕している自分に酔いしれている反面、相手が自分に感謝してくれないこと、相手が思うようにならないこと、そして自分の人生が振り回されていることに対して、腹の底で強い怒りを感じている。韓国が慰安婦問題や徴用工問題で日本を攻撃してくると、韓国がほしいのは金だろうと思い込み、かつて通貨スワップで韓国を助けた時のように今回もまた経済的援助をすれば済むだろうと考える(実は、私もそう考えていた時期があった)。そして、韓国が国際社会で孤立して日本にすり寄る姿勢を見せれば、それ見たことかとほくそ笑み、一方で都合のいい時だけ日本を利用したがっていると憤る。
そんな韓国に対して、怒りをストレートに表すことは、自分の感情を素直に表現することとは異なる。家庭内暴力を振るう人を怒ろうものなら、相手はかえって逆上する。かといって、政府が言う「戦略的放置」なるものを続けたとしても、家庭内暴力が余計にこじれるのと同様に、日韓問題も泥沼化する。外交の場で本当に有効なカードとなるのかどうか自信がないのだが、「韓国がそのようにするのは悲しいことだ」と率直に日本の心情を述べることが、感情を素直に表現することに等しいのではないかと感じる。これは「誠に遺憾である」と言うのとは違う。遺憾という言葉には怒りが込められている。そうではなく、ただただ悲しいというメッセージを送る。
私は、日韓が胸襟を開いて対話をすべきだという、左派によくありがちな解決策には同意しない。対話をすれば何でも解決できるというのは幻想である。対話には時間がかかる。そして、両国の重要人物が直接話をする機会は非常に限られている。日本がメディアを通じて韓国に発する限られたメッセージの中に、最大限の意味を込める必要がある。そのメッセージは、韓国の報道機関によってさらに短く編集されることも見込んでおく。日本が純化された感謝と悲しみを韓国に伝えることが、二国間関係を正常化する第一歩だと思う。
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