3年で転職してはいけない会社、転職してもよい会社

3年で転職してはいけない会社、転職してもよい会社
 

私は、上司と上手く関係を構築することができなかった人間である。

新卒入社したのは、アビームコンサルティングの子会社である300名弱のSIerであった。私が就職活動をしていた頃にはまだ住商情報システムとの合弁会社であり、ERPパッケージの導入に強い企業を目指すと言っていたのだが、私が入社する直前にアビームコンサルティングの100%子会社となった。建前上は親会社であるアビームコンサルティングが経営コンサルティングを担当し、システム開発は子会社が一から行うという分業体制であった。しかし、当時のアビームコンサルティングには3,000名の社員がおり、大量のSEを抱えていた。親会社だけで十分にプロジェクトを完結させる能力があり、子会社は人員の調整弁としての機能しか果たさなくなった。

子会社の社員は親会社が受注したプロジェクトに派遣されて、親会社の社員と一緒にシステム開発を行った。子会社の社員には組織図上の上司はいたものの、実務上は親会社の社員の指揮命令の下で働いていた(これは偽装派遣ではないかと随分昔に旧ブログの記事「IT業界の偽装派遣(2)―私がいた会社の場合」で書いたことがある)。私は新卒入社したこのSIerを1年ちょっとで退職してしまったので偉そうなことは言えないのだが、組織図上の上司とは2、3回しか会ったことがない。評価面談をした記憶もない(第一、一緒に働いていないのだから、評価のしようがない)。実務上の上司も戦略コンサルティングに興味があったようで、私が退職するよりも前にプロジェクトを離れてしまった。だから、私には上司らしい上司がいなかった。

その後、組織・人事コンサルティングと教育研修サービスを提供するベンチャー企業に転職した。コンサルティングの仕事は数か月間のプロジェクト単位で動くため、上司が頻繁に交代する。それは仕方のないことだとしても、問題はここでもやはり人事評価らしい評価を受けたことがなかったことだった。5年半の在籍中に、面談を行ったのは2、3回しかない。

それよりも残念だったのは、この会社が業績不振を理由として、私が入社してから2年半が経った頃にコンサルティング事業を分社化した時のことである。私はコンサルティング事業に属していたため、当然のことながら分社化された会社の方に転籍するものだと思っていた。ところが、社長からは教育研修事業に残るように命じられた。副社長も直接私を説得した。腹をくくった私は、副社長を新しい上司として仕事をするようになった。

ところが、半年も経たないうちに衝撃の事実を知った。何と、私の上司であった副社長はいつの間にか会社を辞めており、会社と業務委託契約を結んで仕事をしていたのである。上司を失った私は、退職するまで非常に宙ぶらりんな状態で仕事を続けることになった。別の誰かが副社長になったわけでもないし、私が社長直下になったわけでもなかった。今思えば、他の誰かを上司とするように努力すべきだったものの、それをしなかったことを後悔している。

産業組織心理学におけるキャリア研究の中に、VDL(Vertical Dyad Linkage)モデルというものがある。直訳すると「タテの2人関係におけるつながり具合」である。研究によれば、最初の配属でどのような上司についたかが、入社後の適応に、さらにはその後のキャリア発達に影響してくるという。高VDLの人たちの方が適応状態がよく、入社直後の幻滅感も緩和されていた。ある関西の流通業の会社で、同じ年に入社した人たちを長期間調査したところ、初期の適応だけでなく、25年フォローしても最初の上司との相性のよさが大きなインパクトを持っていたそうだ。

「七五三現象」という言葉があるように、就職して3年以内に中卒の7割、高卒の5割、大卒の3割は離職すると言われる(この現象は最近の問題ではなく10年前とほぼ変わらないが、25年前と比べると高卒者の短期離職者が増えているらしい)。最初の企業では上司と良好な関係を築くことができなかったが、転職した企業ではよい上司にめぐり合えた場合、あるいは私のように、新卒入社した会社でも転職先でも上司と適切な関係を構築することに失敗した場合、キャリア形成にどのような影響が出るのか研究してもらいたいところである。

VDLモデルが言うように、最初の上司との関係がキャリア開発上重要なインパクトを持つならば、短期間で転職するのはもったいない。 神戸大学大学院経営学研究科の金井壽宏教授も「石の上にも3年」という言葉を支持しており、(必ずしも3年である必要はないが)「最低必要努力量(MER:Minimum Effort Requirement)」と呼ぶべきものがあると主張する。しかし他方で、若いうちはあれこれと試すことができるチャンスなのに、「この道しかない」と決め込んで自分を現職に縛る必要はないとも言う。「悪いがまん」はするな、というわけだ。


前述のように、新卒入社したSIerを1年ちょっとで辞めた私がこんなことを言っても全く説得力がないかもしれないが、3年で転職すべきではない企業のタイプを4つ挙げたいと思う。

1つ目は「雑用が多い企業」である。新卒入社した若者がすぐに転職を検討する理由の1つに、「雑用が多くてちゃんと仕事を任せてもらえない」というものがある。そして、ベンチャー企業の方がやりがいのある仕事が多いだろうと憧れる。しかし、実際にはベンチャー企業の方が雑用だらけである。何から何まで少ない人数で回す必要があるベンチャー企業では、こぼれている仕事を全員でカバーしなければならない。よいベンチャー企業では、社長が自らお客様にお茶を出しているものだ。仕事には、一見価値がないように見えて、実はそれがなければ実は仕事全体が成立しない性質のものがある。雑用は、仕事の仕組みや成り立ちを学ぶ格好の教材である。

2つ目は「職場での飲み会が多い企業」である。社員同士のコミュニケーションがよくなるからという理由ではない。上司と飲む中で、お酒を勧めるタイミング、料理の取り分け方、話の振り方・つなぎ方など、飲み会における礼儀作法を学ぶことができる。ある程度年齢が上がると、顧客と飲む機会が増える。その時にこういう礼儀作法が身についていなければ痛い目に遭う。最悪の場合、重要な商談が吹き飛ぶことすらある。歳を取ってから赤っ恥をかかないように、若いうちに社内で訓練をさせてくれる企業はありがたい存在である。

3つ目は「業務量が多い企業」である。働き方改革による残業規制を上回る残業はよくないものの、その範囲内ギリギリでの仕事がある企業は安易に辞めるべきではないと思う。残業規制がある中で相当量の業務をこなすには、仕事のやり方を工夫しなければならない。1つ1つの動作のスピードを上げたり、ミスを減らしたりする必要がある。それでも生産性が上がらない場合には、やり方を根本的に見直すことも重要である。このような試行錯誤は、後に組織全体の仕事を再構築するような立場になった時に必ず役に立つ。そのための練習を、若いうちに割増賃金をもらいながらやらせてくれる企業は、ブラック企業どころかホワイト企業である。

4つ目は「理不尽な教育研修がある企業」である。そもそも研修とは理不尽なものである。そんなトレーニングがなぜ必要なのか、訓練を受けている最中には理解できないものだ。若ければ若いほど、研修の意味は解りにくい。ある大手飲食業のトレーニングでは、新入社員に自己分析をさせた後、講師が全員の人格をこれでもかと否定するという(もちろん、その後自分のパーソナリティを改善するための方策を検討させ、よいアイデアを出した受講生全員を講師が大げさに褒めるというハッピーエンドが待っている)。歴史の授業は高校生にとって意義を見出しにくい。しかし、歳を重ねると歴史の重要性に気づき始める。企業の研修もそれと似たところがある。

それに、研修が終わって現場に入ると、もっと理不尽なことがたくさん待っている。顧客からは意味不明な難癖をつけられることもある。理不尽な研修ではあたふたしても許されるが、理不尽な現場では毅然とした態度で振る舞わなければならない。理不尽な研修は、実際の修羅場に対抗するためのワクチンである。ただし、蛇足ながら1つつけ加えると、他人に迷惑をかける理不尽な研修はよくない。別の企業では、社員に度胸をつけさせるために、毎朝通勤電車の中で、大声で詩を朗読させていた。度胸をつけさせる方法はもっと別にもある。

入社後に、「こんなはずではなかった」という幻滅感に陥ることを「リアリティ・ショック」と呼ぶ。上記の4タイプはいずれもリアリティ・ショックに該当する。離職につながりやすいリアリティ・ショックでも、この程度であれば耐え忍ぶべきである。企業は求人情報に実態を全ては書かない。実態とは明らかに違うことは「真っ赤な嘘」だが、実態を書かないことは「白い嘘」と呼ばれる。情報スペースは限られているのだから、企業は必ずと言ってよいほど白い嘘をつく。白い嘘に騙されたからと言って、別の魅力的な求人情報に飛びついて転職すれば、またしても白い嘘に騙される。求人情報に限らず、およそ広告というものは嘘を含んでいるものである。そのことを学習して、3年間は同じ企業に勤め続けた方がよい。

逆に、3年で転職してもよい企業にも4つのタイプがあると考える。

1つ目は、「即戦力を求める企業」である。「我が社ではすぐに活躍できる」ということを売り文句にしている企業もある。しかし、即戦力を求めるということは、企業が人材育成に投資しないと宣言しているに等しい。どんなに専門的な勉強を積んでも、大学生は所詮大学生である。仕事の回し方、組織内外での振る舞い方を知らない大学生は即戦力にはなり得ない。高度な研究経験がある理系の大学院生でも、企業の研究室に就職すれば下っ端からスタートするものである。

最近、AIに通じた大学生を即戦力として採用しようとする動きが見られる。しかし、そのような企業は、「我が社はITの最新分野について、中堅社員に勉強・研究させる機会を提供してきませんでした」と自らの恥を明かしているようなものである。繰り返しになるが、即戦力をほしがる企業は、人材育成に投資していない。大卒が即戦力になり得るのであれば、経営学部の学生をMBAに直接放り込んで、その卒業生を企業の社長にすればよい。そんな社長はあり得ないと多くの人は即座に思うのに、AIの即戦力となると勘が鈍るようだ。

2つ目は「仕事の上がり目がない企業」である。多くの若者は「会社の将来性が見えない」という理由で転職するようだが、私は「仕事の将来が見えすぎている企業」こそ早期に離れた方がよいと考える。上司や先輩の仕事が、今の自分の仕事の延長線上にしかない場合は、仕事の上がり目がない。事業ドメインを非常に狭く定義している企業ではこのような傾向がみられる。人間は成長し続ける生き物である。事業ドメインは、社員を多少不安にさせるほどに曖昧な方が望ましい。最初から成長に蓋をされている企業と長くつき合う必要はない。

自分で自分の行為を正当化することが許されるならば、私が新卒入社したSIerを早期離職したのはこの理由による。前述したように、親会社が経営コンサルティング、子会社がシステム開発を行うという分業体制の下では、子会社の社員にも上流工程に携われる機会があるはずであった。ところが、SEを多数抱えている親会社は、自らコンサルティング以降の工程も実施してしまう。だから、子会社の社員は所詮プログラマーであった。私は自分がアサインされているプロジェクトにいる先輩の姿を見たり、他のプロジェクトに従事している同期の話を聞いたりするうちに、この会社にいても単にプログラミングが上手になるだけだと悟った。

3つ目は「掃除を軽んじる企業」である。「部屋の乱れは心の乱れ」という幼少期の教えは、大人になっても色あせることはない。製品・サービスを生み出す空間や道具が汚れていては、顧客に対して良質の製品・サービスを提供することなどできない。大きな企業になると、オフィスビルの管理会社が提供する清掃サービスを受けているところもあるだろう。その場合は、上司や先輩のデスクの上を見るとよい。デスクが散らかっている社員が多い企業の未来は暗い。私の転職先であったベンチャー企業はひどい業績不振に陥っており、その打開策として社員自ら掃除をするように仕向けるべきだったと以前の記事で書いたことがある。

リストラした後に新規投資をしなかったことの後悔

上杉鷹山と言えば、米沢藩の財政を立て直した人物として有名である。鷹山は10歳の時に、秋月家から上杉家へ養子に来て、17歳で米沢藩主となった。当時の上杉家には借財が多く、その上領内には凶作が続いて、領民は非常に苦労していた。窮状を目の当たりにした鷹山は、まず倹約によって家を建て直し、領民の難儀を救おうと決心した。 …

心が乱れると、社内の雰囲気もギスギスしたものになる。冗談かと思われるかもしれないが、植物はそうした雰囲気に敏感に反応する。前職のベンチャー企業で育てていたサボテンは天井に向かってではなく地を這うように伸びていたし、パキラはその葉から謎の粘液をまき散らして周囲のデスクを汚していた。組織風土を診断するメソッドはたくさんあるものの(私も昨年1つ開発した)、実は観葉植物を置いてみるというのが最も手軽な方法かもしれない。

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4つ目は「年上部下が年下上司に敬語を使わない企業」である。近年、役職定年の設定や定年延長によって、年上の社員が年下の上司の下に就くケースが増えている。いくら自分が年上でも、上司に対しては敬語を使うのが筋である。そうでなければ組織内の秩序が乱れる。上司は企業内の顧客である。外部の顧客が年下であっても必ず敬語を使うだろう。それなのに、企業内のこととなるとルールが変わるようでは困る。内弁慶社員が跋扈している企業には見切りをつけてもよい。